20年目の有難う
健康いろいろ
2006.03.10

 
 『これで、最後の注射だああ。』
 一昨日ですかね。とうとう20年目の注射が終わりました。
何の注射かって
別に悪い注射では有りませんのであしからず怜
 母の肺癌のワクチン注射だったのですね。
そう。あれから20年かあ。
今では、癌告知も常識と化してますが、約20年前は、癌=死。当たり前でしてね。
もちろん、現在でも簡単な病気では有りませんが、
実際この20年の歳月をかけて、癌に対する病院や、
一般の方の考え方も随分と変わってきましたよね。
 母は、自分が中学生のころから、身体がこわい、こわいと言っていました。
顔色も自分で、肝臓が悪いのかな。と言う感じで、思っていたらしいのですが、私が受験生だったために
受験を終えてから、病院に行ってみたのですね。
その時は、人間ドックに入って、ちょっと肺に影があると。
それからある大きい病院で、精密検査。
そうしましたら、結核の残骸だと。
母は、昔若い頃結核をしていたので、また結核?
と思ったらしいのですが、先生いわく『結核になっても知らぬ間にまた感染をしていて、それが自然に治癒している場合もある』との見解。
そうかなああ。と思いながら、様子を見る事に。
ですが、その間にどんどん、身体は衰弱していき、
おかしいおかしいの連発でしたね。
それから、半年。結核の残骸が動き出したとの事。その時母も良く考えたのでしょう。
もし結核だったら、若い娘に移しても困るだろうと。
それから、その当時結核と言えば幌南病院さんに結核病棟があると。
それで、もう一度そこに行き、検査を依頼。
そうしましたところ、なんと結核ではなく肺癌であると言われてしまったのですね。
もちろん、母には、言えず。
先生から良性の腫瘍と言い、このままにしておくと
悪者に変わってしまうのは、困るのですぐ手術を。
自分もまだその当時は、高校1年生だものね。
本人は大人と思っていても、全然子どもでね。
何にも出来ないの。
今思えばかわいいわよね。
で、手術は、お蔭様で無事終了。
それからが大変だったかなあ。
本人も家族もね。
今のように抗がん剤を一週間おきとかするのではなく、毎日毎日がんがん投与されてね。
すぐ髪の毛も抜ける。食事は、喉を通らず。
吐いて、下して。
あっという間に白血球なんぞは1000台に。
(通常の方は、4000ぐらいから、9000台。)
あったりまえのごとく、滅菌室で面会謝絶。
当時は、今私の上に起こっている事に何も反応すら覚えなかったような。
あまりの重大な事や、大変な事もわからなかったのかな。
で、このままじゃ本人もまずいのかもと思ったらしく、以前からもしかすると自分は、癌じゃないかって疑い始めてたのね。
それからなんとか、白血球を1500代にして退院。
でも、ずううっとマスクをしてたな。
それから、以前から耳にしていた、蓮見ワクチンに言ってみたいと打ち明けられ。
その当時は、免疫だの、ワクチンだのって言われても
自分もチンプンカンプン。
そして、母の強い意志により、東京までとんで、
這い蹲るようにして行って来て。
それから5日に1回のワクチン注射をする事になったのね。
 
 注:蓮見ワクチンとは、自分のおしっこから精製分離したワクチンを皮下注射で自分にもどして、免疫力を高める方法。
始めは、近くの病院で、この蓮見ワクチンを理解してもらえるお医者さんのところで、注射をしてもらいにいっていたのですが、私がたまたま注射の実習をしてからは、私が母にしていたのです。
あれから20年の歳月がね。経ったのね。
普通は癌をしてから約5年経過するともう大丈夫。
などと言いますが、母はとても慎重でしたのと、
毎年毎年東京に行ってそこで会う癌の方から、このワクチンはずっとしていたほうがいい。と言われたらしく、素直に続けていました。
ただ、この度約20年の節目と、私がこの仕事について最近では、漢方や天然成分のものでも免疫力が高まるものが多くでてきていますので、私の扱っている商品にも信用をしてもらい、止める事になったのです。
それで、一昨日にめでたく終了。秊
ほんとお互いに『お疲れ様でした。』の挨拶で、
終われました。
それと同時に、本当に20年間に有難うでした。
20年前にこのワクチンに出会った事も、20年間休みなく、東京に行けたことも、経済的に続けられた事も、私が注射できた事も、もちろん、命があった事も。全てに有難うございました。
はじめて結核と言われた事も、実は、今考えると、
誤診だったことは、明白ですが、その誤診があったからこそ、幌南病院さんにもいけたわけで。
そこにたまたまその当時、北大からの胸部外科では、
ぴか一の手術をされる先生にもお会い出来たわけですし。
全てに感謝と有難うでしょうか。
先日、いつもの人間関係の勉強会をしている方のお1人が言われいました。
その方も約20年の歳月を終えて、今年の春、息子さんが巣立っていかれると。
今までは、何で、どうしてしか言えなかった自分が
この20年間息子と向き合って来たからこそ、今
手放す事も感謝して出来るというのです。
そして離すことで、また新たなものが入ってくると
考える事が出来たとおっしゃっていました。
20年。されど20年。
色々な事があっても、有難うの一言に尽きますね。
有難うと言うのは、困難が有るということで、
有難うと言うのだそうです。
つまり、困難が来るたびごとに、はじめから有難うと
言っていると、どんどん楽になると言う意味らしいですね。
 なるほろ。牢
まあでも、なかなか歳月が経ってから、あの苦しかった事、辛かった事も有り難いと這いいますが、今現在を困難がきて有難うと言うのはそれこそ難しいかもしれませんね。
でも、その事を実践されてる方は、交通事故を起こすその時にも、有難うと言っておいたおかげで、軽い打撲ですんだとか、そのぶつかってきた人と今では、家族ぐるみの付き合いだと言ってましたね。
ふむふむ。
試してみよっかな。
 目の前の大きな石にぶつかっても・・・有難う
 通りすがりのかわいい子に
 『おばちゃん、ブス』って言われても・有難う
 馬鹿。馬鹿と叫びながら私の頭に
   ふんを落としたカラス君に・・・・有難う
 んんん。  
 
     人間修業も楽じゃない嶺

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