玉ねぎの皮むき

今月の締めかな。
昨日、透視の方から母にお話しがあるとのことで、
お邪魔して母とその方が終わってからの話。
『○○さんから、お母さん。娘さんはどうしてもお母さん、お父さんに甘えられなかったので、それでお二人を憎んでいるところがあるんですよ。』
との会話に、母も『そうだと思います。実は私も母に甘えた事が無かった。父は小さいときに亡くなり、母はずっと忙しくしていたので。だから私も甘え方も甘えられ方も知らないのです。そして、嫁いだ先の相手(父)も同じような状況の人で。で、暮らしは旦那の父、母の顔色ばかり夫婦で見ていたのでの、それを子供に見せていたのでしょうね。申し訳ないことをしました。』
と会話を教えてくれました。
そして、母が私に直接謝ってくれたのです。
・・・。
言葉につまり、目には涙がいっぱいあふれていました。
以前、この彼女から私は『どうして先生は人に甘えないの。甘えられないの。だから人を信じられないのよ。』って、まあ、ちと責められたようにもお話されたのですが、その時、泣きながら、『そんな事言われても、私親にも甘えた事ないから。だから甘え方をしらないんです。』って言った事がありました。
でも彼女は、更につっこんで、『何故。何故なの。簡単なことじゃない。わたしなんかよくしてもらったおばさんにあったらいつも側にくっついていって、おばさんには可愛がってもらったわよねえ。って、そんかんじで甘えていけばいいのよ。』
・・・。
彼女は簡単なことだったのでしょうね。
でも、私にとっては到底無理な話しでした。
それは、母も言っていたように、小さい頃から、
母も父も向いているのはおじいちゃんとおばあちゃんの顔色を伺って生活をしているのですもの。
おじいちゃんは学校の校長先生までした人でしたので、人間遊びは悪い事。怠けるのは悪い事と思っている人でした。
また、おばあちゃんは貰われていった先で、いいだけ
わがままに育てられました。ですので、思った感情はすぐ人に、特に父や母にぶつける人でした。
そんな中で、父も母もびくびくして暮らしていたのでしょうか。
おじいちゃんとおばあちゃんの顔色を伺っていた。
それを見ている小さい私はやはり『おりこうさん』で
居なければなりませんでした。
物心ついたときは、習い事もし、悪い事もせず、
(その反動は中学生で、開花しますが・・・^^;)
勉強もして当たり前。良い点を取って当たり前。
人にはご挨拶もでき、周りからも、いい子ね。いいお嬢さんね。と言われて、喜んでいる父と母の顔を見ながらの成長だったのでしょうね。
それで、自分が甘えたい時はこの親は今大丈夫なのか、それとも、嫌がられるのではないかという怖れと不安がつきまとっていたのでしょう。
この感情がずっと、ずっと心の奥底に追いやっていて、自分の魂にもへばりついていた。
そんなものをもって大人になれば、当然、心開き、
信じ、安心して生きていけるのでしょうか。
それは無理な話だったのですね。
では、どうしたらいいか。ですよね。
甘えられなかったのだから、今甘えれば。
と言われても、この歳になった自分はどのように表現すればいいのか。
誰もがそうです。
この甘えられなかった経験をしている人は、大人になると、いわゆる、人に無理難題を言ってみたり、わがままに振舞ったり、逆に、自分を卑下したり、意固地になってみたり。もちろん、お酒、ギャンブル、などなど、到底自分の身体に悪いだろうという癖で、小さいときの甘えられなかった感情を癒そうとするらしいです。いわゆる依存ですね。
なるほどですわね。
じゃあ、甘えってどう言う事?と考えると、
一歩間違えると、好き勝手と混同してしまいます。
だから、好き勝手にさせて育てた子供は、我慢が足りないといわれますわね。
もちろん、大人になってもそれは出てくるでしょう。
それでは、甘えるというのは・・・。
やはり、私が今感じているのは、どのような時にも
人間には感情が出てきます。
それにしっかりと添ってもらう。
そのまま受け入れてもらう。
これこそが甘える。という行為なのかもしれません。
親の顔色も、誰の顔色も伺わずにね。
それが、本当の甘える。と言う事でしょうか。
それを成長段階においてしてもらえて、もしくは、出来た方は、大人になっても、人間関係がうまく出きることにつながるのかも知れません。
とすると、今の世の中、全ての大人は甘えられない。
そう言う状況で来ているのではないでしょうか。
ある方が言ってました。
子供の頃にしっかりと甘えて育った子は、黙っていても自立していける。
親からも離れられる。
そうです。
自分の感情、自分そのものを、そのままでいいと言う
体験をすると、ちゃんと相手も受け入れれて、自分の意見も言えて、立って生活していけれるわけですものね。
でも、それを体験していなければ、やはり、大人になっても、親、子供、兄弟、友人、知人、職場、そして一番大きいのは、人生のパートナーに依存をもとめるのでしょうか。
しかし、類は類をと言うことわざがあるように、
相手もまた、甘えて来ていない、そのままでいいという体験をしていなければ・・・。
結果はおのずとわかりますね。
それを防ぐには。
もう一度、その経験をする事でしょうか。
一番は、そのようにしてくれる方が側にいるのがベストですが、それもまた限りのある事。
とすると、自分で、自分の深く深く押し込めてしまった感情を見てあげて、そして、ゆっくりと、でもしっかりと、確実にその時を許し、またその時にしていただけなかった周りの人に心の中で、伝える。
そうすると、周りの人も出来なくて、ごめんなさいと
必ず言ってくれると思います。
先日読んだ『癒しへの旅。』が私には全てを解決してくれる道筋が書いてかる気がしました。
これこそが、自分の感情にそのまま添って行く、大きな、大きな旅でした。
私の場合はある透視の彼女を通して、全ての押し込めていた、(本当はもう全て出し切ったと思っていたのですが・・・)例えて言うと玉ねぎの薄皮をしっかりと見つめられ、強制的に剥がされましたが、これは、誰にでもできることです。
これからは私が玉ねぎの皮をむきたい方の手助けが出来ればと思っています。
必ず出来ます。
みんな出来ます。
だって、私が出来たのですもの。
ご両親が生きている方はもちろんの事、または高齢の方や、すでに亡くなられている方も大丈夫。
心では、キチンとお話が出来ます。
そして、その奥にある、とてもきれいなみなさんの
魂が輝いているものに出会えたとき、本当に安心が得られ、幸せを感じられると思います。
今私は心より、安心と幸せを感じております。
それと同時に、大きな課題を頂ました。
これまでより、もう一歩ももう二歩も進んで、
よろこんで、皆さんの皮むきのお手伝いが出来ればと
思っています。それにはまた今日から勉強ですわね。
んんん。
そろそろ秋の気配が出てきているので、秋の夜長は
やっぱり勉学が進みますね。
そんなこんなで、この8月はじめから私に起きた
不思議な体験は、一応今月末で締めさせてもらい、
また新たに、自分の魂の成長をする覚悟をさせてもらいました。
全てに感謝です。
玉ねぎの皮をつけている、全ての人が剥がす事が
出来ますよう祈っております。烈

注)玉ねぎの皮むきに用意するもの。
剥きながら浄化の涙が沢山でます。

テッシュとゴミ箱は忘れずに。秊