大きな一歩

先日ある知人に会ったのね。
その彼女は、つい数日までに大きな出来事あったらしいの。
そう、それは、ずううっと気になっていた事をある友人に話したんだって。
その彼女は何年も前から、友人との問題で、よくよく悩んでいられて。
友人との問題というより、実は、そのお友達のある部分を受け入れられない自分が嫌だったって言っていたなあ。
そうだよね。
あるある。
本当は全て受け入れたいって思っていても、いやだなあって所もあるわけで。
そのいやだなあって思うところは、実は、自分も持っていたりしてね。
だから、彼女は友人を受け入れられないと言うより、
自分を受け入れられない事で、非常に自己嫌悪にさいなまれて。
そして、何年も何年もその答えを見つけたくて、
色々勉強したり、話をしたり。
更に、彼女のすごいところは『自分の吐いた言葉は自分に返ってくるから、なかなかいえないんです。』って言っていたのね。
んんん。
感心しちゃうよね。
私なんて、すぐ、愚痴っちゃいそう。
ただ、ちょっと勘違いをしていたのか、悪く言いたくないのと、自分の意見を言う、自分の気持ちを伝えるのを、ごっちゃにしていたかも。
そして、話すことで、友人関係が壊れちゃうんじ造ないかって、つまり嫌われちゃうんじゃないかって言う
恐れもあったかもしれないわね。
だから、なかなか本人と話すことが出来なかったらしく。
と言うより、どのように話すかと言う言葉を何年もかかって、考えていたのかもしれないよね。
探していたというかね。
それで、この度、年度も変わったと言う事で?じゃなく、ご自身で、このままじゃ、何も始まらないって考えて、意を決して、話をしたそうです。
そうしたら、彼女の待っていた(あまり良くはいわれないんじゃないか)って言う言葉じゃない言葉、つまり、
私もそう思っていたよ。と言う、詳しくはわかんないけど、なんかこうほっとするような言葉が
返ってきたのだそうです。
そうしたら、身体がなんか楽になったのよね。って。
『そっかああ。
身体が楽にね。気持ちも楽になったんじゃない?
でも、すごい一歩だったよね。大きな一歩だよね。』
って話ました。
彼女も、本人自身、自分を褒めてあげたいって言ってね。
そうだよ。
良く頑張ったよね。
それから、彼女は、なんか今までぐだぐだしてて、
もったいなかったようにも思えるけど、このためには必要だったのかも。
そんな話もしていました。
ホント、そうですよね。
人間何か壁とか、気になる事が起きたとき、じっくりと考える時間や、脳や、心や、体力がないと、どれ1つかけても、乗りこえてはいけないのですものね。
だから、その時がくるまでは、何かにつけて、逃げ出したくなる。
つまり、何かのせいや、人のせいにもしたくなるよね。
彼女も、最初は、どうしてだか、なぜ自分をせめちゃうのか分からない事だらけだったようですが、今振り返ってみると、なるほどと言う事が、多いと言ってました。
彼女の恐れ、不安が、友人との仲を共依存の世界に
引き込んでしまっていたのかも知れません。
今は、一歩だけど、共存在の状態になるために踏み出したとも言ってましたね。
そう、これは大きい一歩だと私も思いますね。
その時の彼女の眼はとても輝いてキラキラしていたね。
とても美人な人だけどもっともっと綺麗だったなあ。
・・・うらやましい。^^
まあ、この一歩が大変だけど、必ず求めればその人
その人に一歩の踏み出す力が出て来るんじゃないかなあって思いました。
それには、沢山の人や、書物などに助けられるのでしょうね。
まずは求めないと来ないけどね。
うんうん。
私も、一歩を踏み出したいと願っている人に、
パワーを送り続けたいです。
人間1人じゃ力も出ないしね。
ここで私が貰ったあるパワーの詩を書きます。
TCSのスクールで学んだ、セルフイメージの教科書に載っていたのを、引用させていただきます。
足跡
ある夜、私は夢を見た。
私は小高い丘にたち、これまで歩んできた人生の
砂山を振り返って眺めていた。
延々と刻まれた自分の足跡と並んで、もう一組の
足跡がついていた。
それは、『私はけっしてあなたを離れない』と約束 してくださった、
主イエスさまのものだった。
しかし、足跡がところどころ、一組しかなかった。
それは、私がもっとも辛く苦しかった時、悲しみの
どん底にあったと思えるようなときだった。
私は驚いて、イエス様に尋ねた。
『私があたたをもっとも必要としていた時、どうして私を見放したのですか。』
すると、こんな返事があった。
『愛するわが子よ。私はいちども、あなたから離れたことはない。あなたが試練にあって苦しんでいた時そこに一組しか足跡が見えないのは、私があなたを背負っていたからだよ。』