沢山のプレゼント

桜、満開ですねええ。
ようやく札幌にもお花見の季節がやってきました。
お蔭様で、わたくしも、つい先日今、人生満開であろう24歳の誕生日も迎えさせていただきました。

きゃああ、うれしい! ってかい。
にゃははは。秊
まあ、年齢はさておき、このお誕生日の前後に沢山のプレゼントをいただきました。
それは、患者さんから頂いたものです。
物というより、患者さんのはれやかな笑顔でしょうか。
そのうちの一人の患者さんに許可を頂いたので、
詳細を書かせていただきますね。
彼女は、ずっと私のブログを読んでくださっていた
ようで、いつかお店にも行きたいなあって思っていたようです。
そう思っていると、来ざるを得ない出来事が・・・。
それは、ここずっと毎日下痢が止まらないという
症状を訴えてきました。
そして、ご本人さんは、理由はわかっていると。
それからカウンセリングをご希望され、お話を聞くと、この世でたった一人のお姉さんと、明日から同居すると言うのです。
これだけ聞くと、別に、何も問題はないように思いますが、彼女にとって、それは計り知れないこころの葛藤だったのです。
なぜなら、彼女のお姉さんは、本州で、約10年前、お二人のお母様をみて、あの世に送り出し、その前はお父様も見られたと。
でも、その後10年間は全くの、まあその前もあまり
姉妹らしい交流のないまま、連絡も音沙汰もなく、
突然、今年になってから、「ちょっと、お金がなくなった。このままじゃ私死ぬしかない。」
とまあ、これほどぶっきらぼうだったかはわかりませんが、これに近い表現で、彼女もびっくりだったそうです。
でも、彼女はとても優しい方なので、「私もこちら北海道で働いて(お一人の方)生活しているので、お姉さんがこちらに来て、一緒に住みましょう。」
と提案されたというのです。
これまた、何も問題はないかもしれませんが、
その彼女にとって、この決断はすごいものでした。
それは、育てられた状況を聞きますと、
お姉さんはとてもお母様に、何でもしてもらっていたと。
何をするにも、お姉ちゃん、お姉ちゃん。
買い物するのも、洋服作るのも、話を聞いてあげるのもお姉ちゃん。
それなのに、妹である彼女は、お母様から何も愛を
受けたことがないぐらい、全くといって良いほど
ほっとかれたそうです。
そんな彼女が、お姉さんを引き取る。
それも、お母様がなくなられて10年。
お姉さんは一度も仕事をされてこなかったのか、
ほとんど働かず、そしてあるお金がそこをついたら、
そんな妹に、このままだったら、私死ぬ。の一言。
んんんん。
ここまで来ると、誰でもがわかりますよね。
そのなくなられたお母様とお姉さんは、ピッタリと依存をし合っていたわけです。
その反動が、今度は妹さんに向けられたのです。
でも、その時の彼女は、自分でお姉さんを呼ばれはずですが、その明日の今日になって、もうどうにも
こころがいっぱいになり、私のところに来られました。
そして、話をするのか、涙をながすのかわからないくらい、自分がどうして良いかわからなくなっていた。
当然ですよね。
親たちを面倒見てくれたお姉さんを、もし今度何かあったら、私が手を貸したいと思っていた彼女ですが、
子供の時を思い返せば、自分は母親に何も愛されず、
話も聴いてもらえなかった、認めてもらうなんて
夢のまた夢。
でも、この世でたった一人のお姉さんに死ぬといわれれば、とっさに、一緒に住もうよ、といってしまったが、体の反応は正直だった。
もう、彼女の心は複雑になるのは当たり前でした。
更なる試練は、毎日、何度も襲い掛かる腹痛と下痢。
頼るところも、どうして良いかもわからず。
私も一緒に、もらい泣きをしてしまう状況でした。
でも、ここで、わたしも一緒に泣いてても始まらず、
まずははじめてのときはお話を聞いて、漢方を出しました。
すると、有難い事に、下痢が一日で止まったとのご連絡が・・・。
ただ、止まりすぎて、今度は便秘に・・・・。
あらあら、ききすぎたのかしら?
って、ねえ。
まあ、彼女は優しい方なので、「先生、私便秘には慣れていたので、あの苦しさがないだけ、とても
うれしいです。」
とのお言葉。
まあ、でも、次はちゃんとバランス取れる物を出しますと約束し、その日が来ました。
この日が彼女にとってピークだったのです。
それは、お姉さんがいらして、お二人で暮らし始めて
一週間。
一緒に暮らしてわかったのは、夜数回お手洗いに起きるお姉さんの音で、まず一睡も出来なくなり、
食事の支度を任せてみたら、全くといって良いほど
出来なくて、更に、ご両親のお位牌を入れる仏壇も
勝手に決めてきて・・・。
これは、全部彼女がお金を出すようになっていたのですね。
彼女曰く、お金はさておき、私に一言も相談がないのがあまりにもひどいと。
そのものの、色も形も彼女がイメージしていたものとも違っていたのですね。
一通り聞いた後、彼女に聞いたことは、どうしたらこの状況を解決できるかと思っていらっしゃるか。ですね。
そうすると、彼女は、今部屋が少ないので、大きいところに引っ越すとか、食事はやはり働いてきた自分が
全部するとか・・・。
で、それで彼女の心は解決するのでしょうか、ということも伝えました。
そうすると、彼女自身も、どうして良いかわからないと。
そこで、私が彼女に伝えたのは、「お姉さんと話すこと。やはり大の大人が二人、同じ屋根の下で暮らすのだから、ルールを作らなくてはならないよね」
といいました。
でも、彼女はそれが難しい。
それから、お姉さんとお母さんの共依存のこと。
お姉さんも体は大人だか、心は子供のままなので、
育て直しをしなくてはいけないと。
それには、彼女に覚悟をしてもらう。
つまり、このままただ彼女が我慢することが続くと、とどのつまり、二人とも共倒れをする。
では、最悪お姉さんと分かれて、さいごお姉さんが
どのような人生を送られても、彼女が選んだ道で、
あなたの責任でもないと。
そして、お姉さんの課題をお母様が取ってしまっていた、(生活するすべを、一人で立って生きていくことを奪ってしまっていた)を、あなたが取るのもまた同じことになると。
では、あなたの課題は・・・。
そう、お姉さんとしっかり膝を突き合わせ、自分の今の状態、金銭の問題、これからの二人の生活のこと、全て洗いざらい話しをして決めていくことではないかと・・・。
その時彼女は、人生最大の難関を突きつけられた感じで、その日は帰っていきました。
そして、2週間後。
私も、そのように気合を入れましたが、果たして、結果は・・・。
どうしたかなあ、と思いつつ、彼女を定刻に迎えたところ、まあ、なんと言うことでしょう。
とても晴れやかな、明るく、はつらつとして、背筋をピンと伸ばして店のドアを開けて、ご来店していただきました。
そして、開口一番「先生、今日はお花見びよりですね」とまあ、つい先だってこの世の終わり(ごめんなさい言いすぎですね。^^;)というような顔つきをされていた彼女が、もうこの世は天国というように変わられてきたのです。
私のほうがびっくり。
それからせきを切ったように、この2週間であった事を話して聞かせてもらったのは、はじめはわたしに言われても、すぐには言い出せれなかった彼女ですが、
あまりにもお姉さまの幼稚さに、プッツンときたらしく、膝を突き合わせて、しっかりとこれまでの経緯も
これからのことも話したそうです。
自分も大変なところ、ここまでしているのだと。
つまり、本音と本音で話したそうです。
そうしたら、お姉さんもご自身にふがいなさを感じていたらしく、お互い胸の内を洗いざらいぶちまけたんですね。
それから、次の日から、彼女が帰ってくると
「肩でもももうか」とか、「あなたの好きな時間も
とろう」とか、いろいろ気を使ってくれるようにもなり、もちろん彼女も仕事から帰ったら、一緒に料理をしたり、お姉さんにも優しい言葉も素直にかけれるようになってきたというのです。
すごいですよね。
そして、お姉さんの仕事を探すというのにも、ちゃんと時期をきらなくてはけじめなくしてしまうよ。と伝えていたところ、「姉と仕事のことでも話しました。
それには、引越しも私が全て決めて、お金も用意すると思っていたのですが、姉に、このままの状況は私も苦しいし、お姉さんも窮屈でしょう。だったら、お姉さんとお互いに出し出しでいいところ探して、引越ししようよ。って。だから早くお互い理想の生活をしたいから、お姉さんも早く仕事見つけて、一緒にがんばろうね。って伝えたんです。
姉も仕事を見つけるといっているので、少し何もいわず、見守っていようとも思います。」
・・・・。
もう私の出番はなくなりましたよね。
本当に彼女の凛とした、話し方や、内容を聞くと、
なんだか私も嬉しくなって。
「良かった、良かった、あなたのお姉さんと話す勇気が、この結果を生んだのでしょう。」と伝えたところ、「これも先生に言ってもらえたから勇気が出て、解決できたのです。
本当にありがとうございました。」
「・・・。」
更に、彼女は、「私も切羽詰っていたから、ここに来れたと思います。ずっと来たいなあって思っていましたが、この日というのがなく。これも姉が来てくれたからと思えば、逆に今では、姉に感謝ですよ。」
「・・・・。」
こちらのほうが嬉しくて、うれし涙をこらえるのに必死でした。
その後彼女は「今日これからお友達と待ち合わせて、
お花見して帰ります。来週は友人と旅行にも行こうと思っています。」
とまあ、力強く、そして、どっしりとした彼女の
姿を見させていただきました。
私はお礼を言われたことも嬉しかったのは本当ですが、それ以上に彼女に、人間の立とうとする強さ、自分は自分で良いということがわかると、こんなにも人に優しく出きる、(もともと彼女は優しい方ですが、
その優しさが、無理なく、自然と出きる)そして、
どんなに大変と思えることも、意味があるということを、彼女の体験を通して、見させてもらいました。
そして、彼女の体験は私の体験、私の自信へと繋がっていく、こんなすばらしい誕生日プレゼントはありませんでした。
この場をお借りして、お礼を言わせてくださいね。
有難うございました。m((_ _))m
もちろん、彼女のこれからは、しっかりと体を立て直すことと、何かあってもまた乗り越えられるという自信を引き続き持っていくこと。
でも、どうしても苦しくなったときは、その時はまた私でよければいつでも一緒に考えさせていただきたいと思っております。
そんな彼女とお姉さんのこれからの人生が、素晴らしく有意義でありますことお祈りいたしております。
で、プレゼントは終わりではなく、彼女のパワーが
どんどん私の周りに波及し、誕生日の次の日には、
私のすぐ側にいる女性にも、「先生、私もいままでやろうやろうと思っていたのですが、自分と向き合い、
母親をも引き上げる力をつけたいと思います。」と、これまた嬉しい言葉をもらいました。
彼女に対しても、ずっと私は、祈っておりました。
頭痛というずっと辛い症状を持っているのは、
彼女と母親、姉妹、家族の関係からもきていたので、すこしでも、彼女が自己確立をする気持ちになれば、いいなあと、思っていたのです。
それが、次の日、彼女のこの言葉をもらって、あまりの嬉しさに、つい目をウルウルさせてしまいました。私もわたしに出きることあれば手伝うよと伝えました。
更に、更に、30代の女性でずっとお母様やお父様の
マイナス言動や行動で自分は死んだほうがましだと思われていた方も、自分で立っていいということを理解し、行動に起こそうとしております。
また、70代に近い方は、これまたずっとお母様の依存から抜け出せれなく、その娘さんにも被害がきている。
私と同年代で仕事にいけなくなってしまっていて、毎日泣く事しか出来ない状況らしいです。
そのお母様も私の気合と共に、覚悟と勇気をだして、
まずは自己を取り戻すことに向けられたとたん、1週間後には、約20歳ぐらい若く、いえ、20代のお嬢様のような、きらきらした目をして、凛とした態度をもって、それでいて肩肘張らず、笑顔でご来店されました。
本当に、嬉しい限りです。
ただ、中には娘さんが覚悟を持ってしたことが、その上のお母様にとっては、自分と共依存していた娘を離されるのが怖い方は、私のことを非常に悪く言います。
「あんたは、だまされているんだ。宗教かなんかじゃないのかい。そうやってお金をとるつもりだよ。
そんなところいって、治るのかい。」
とまあ、すごいですよ~。
娘が具合が悪い、お腹が痛い、頭が痛い、
吐き気がする、母さんと話すと疲れる、食欲がない。夫婦の関係がうまく行かない、とまあ多種多様の訴えを起こしている娘に、共依存をする母親は自分の思うとおりに行かなくなる娘にさせられては困るので、
こちらに攻撃を仕掛けてきます。
あのねええ。って感じですが、私も男の中の男、
いや、もとい、女の中の女です。???
一度引き受けた課題は、その患者さんと一緒に
戦って行きたいと考えております。
いつか必ず、そのお母様にもわかってもらえる日が来ることを祈りつつ・・・。
ただ、一番困るのは、やはり自分は立ちたくない。
表面では立ったほうがいいのはわかっているが、
先生に言われたからやってみた。でも出来ないから、
やっぱりお母さんと離れたくない。
とまあ、自己をきちんと確立していない方に多いのは、責任の取り方を知らないことなのです。
自分で決めて、自分で進む。
まあ、これがわかっていたら、何も苦労はないですし
お母さんといても、生きて行くのも辛くない。
苦しくない。
それを私がさせるのではなく、支えるしかなく、
またこの現場で、慈しみを知ることが、ひいては、
その後のその人の人生、他者と、お母様と、ご主人と、子供との柔らかな、そして穏やかで、明るい未来があることを知ってもらうのも、私の仕事ですね。
他にも、自己確立していない方で、ずっと、ご主人にDVをされている方が大勢おります。
される側もする側も寂しさを持っている。
だからといって、我慢することでもないのです。
どちらも、ご両親の理想とする生き方、ご両親のなってほしい人間をするのはもういいと思います。
それを「偽りの自己」というそうです。
本当の自分を取り戻してもらいたい。
今まで来ていただいている方も、これから何かの縁で私のところに来ていただく方も、もちろん、今日本の、いえ世界で、「偽りの自己」に苦しんでいる方が
少しでも楽になりますよう、祈っております。
最後に、一昨日、本棚から見つけた娘と母のこと
をずっとカウンセリングしてきたのを読んで、初めてわかったことも、これもわたしへのプレゼントだと思っています。
それは、また、おいおいに・・・。
この次も、その次も、沢山の方々の素晴らしい体験を報告できるよう、祈っております。
んんん、今日の日記も2時間かかりました。
長嶺
全てのことが私へのプレゼントです。
本当に感謝しております。
有りがとうございました。
合掌劣