好きになる

ん?
今日はまた水曜日ね。
何故か、毎週水曜日にアップしているような。
・・・ただ、水曜日はそんなにバタバタしていないと言う事ね。
あまり意味はないか。
いえいえ、どんな事でも意味がある。・・・と問いているのは、いつも自分にも当てはまるのよねええ。
先日、ある事が起きて、私の頭から湯気が出てしまって。
で、いつもながらに、その時はぐっとこらえたのですが、段々その湯気が沸いてきて。
来たーーー。って。
それこそ、こんな事にも意味がある、意味がある、と念仏のように唱えていたら、本当に意味があったのですね。
その日の夜茶碗を洗いながら、『どうして私はすぐ
相手が何もそんな事思っていないのに、馬鹿にされたーーっ思っちゃうんだろう。それって、やっぱり親、特に父親譲りでいやだなあ。』って
考えていたのですね。
それから、『やっぱり悟りとは難しいのう・・・。』などと言いつつ、『でも、この馬鹿にされたあああ、って思ったからこそ、なに○そーーーって根性が出て、今にいたっているわけで・・・。』
ここで、『はっ聯』って気づいたわけです。
『そうだよねええ。この馬鹿にされたーーって感情が父からも、母からも貰ってたから、今の店も出来てるし、今の私があるんです。』
ええええ、そう思ったら、なんか今まで、自分の中に見つけたものが実は好きになっちゃって。
ついでに、それをくれた親の嫌だああって思っていた
すぐに怒るところも、相手との競争するところも
なんか認めたと言うか、愛おしくなちゃってねえ。
へええ。
だよね。
だって、それまで、まずは認めよう、って思ってきた
感情を認めてはいたけど、ずっと否定をしていたわけで。
でもでも、それがあった御蔭で今私のしたいことも
できているわけで。
なんかなんか、認めるって事は本当は好きになるってことかああ。
と、気づいたのですね。
だもの、私がくううう、頭に来たああって思っていた人に対しても、すんごく感謝しちゃってねえ。
いやああ。
やっぱり意味がある。
だからと言って、その方に、私の頭に来た感情を伝えなくて良いか・・・と言うのはなくて、
キチンと次の日冷静になってから伝えましたが・・・。
それも彼らの勉強になるかと。
感謝は感謝。
いけないことはいけないってね。
ちゃんと伝えんとね。
今まで自分の中にある親たちの、またご先祖さんのいやだなあって思うものが、大人になって別な事で、引き出されていたのよね。
それがいつも引き出されるたび、どうしてこんなに引き出されちゃうんだろうとか、どうしてこの感情を消せないんだろう。などといつもいつもその部分を自分で責めていたのね。
だけども、責めなくていいのよ。
そう、そう。
責める事など何もなく、実はそれがあったからこそ、
って言うところになると、好きになっちゃうのよね。
そうね。
そうやって考えると、どんな事もやっぱりOKよ。
だって、
どうしていつも私は引っ込み事案なのかしら?
って思えば、引っ込み思案だからこそ、ここまで
事故もなく慎重にやってこれたのよ。となるし、
どうしていつも私はあれもこれもに手をつけるのかしら?って思えば、あれもこれも手につけるからこそ
ここまで、沢山の人と出会えた。となるし、
どうしていつも私はきちんとしないと気がすまないのかしら?って思えば、きちんとしてきたからこそ、
1つの事が成就したわけだ。となるよね。
なるほどねええ。
全てはそのままでOKなのよね。
どうしても、私たち日本人は自分にあるものを
否定するところから始まっちゃってる気がするわね。
それってもったいないわよねえ。
だって、どんな事もその人しか持ち合わせていないものなのに、それがあるからこそなのにね。
自分も今回の事で、また自分を好きになれたことは
すごくいい気づきだったと思いますね。
自分を好きにならないと、その鏡である他の方を
誰も好きになれないって言うしね。
特に、自分とそっくりサンの親を好きになるってことがわからないかも知れないなあ。
んんん。
親を好きになる。
当たり前なようで、難しいみたいね。
やっぱ、鏡かあああ。
・・・鏡よ鏡よ鏡さん。
この世で一番美しく、一番好きな人はだあれ?・・

うふ^^
もちろん、優香姫~
・・・ちなみに私はナルシシストではございません。
だははは。

みんなみんな自分が好きになれますように
祈っています。