終わりと始まり。
今日は南北海道の高校野球の決勝戦ですね。
って、何処と何処がするのかも知らない私ですが・・・。あははは。
なら言うなってところですが、まあこの季節はやはり甲子園だよね。
でも、今日の試合で、勝ったほうの一校しかいけないわけで。
負けた方は甲子園いけないんだよね。
んんん、当たり前の事だわさ。
地方の決勝戦が終わると、今度は全国の大会が始まるわけで。
そう、終わりと始まりは1つって事かああ。
その終わりと始まりで、考える事は、全てにそうかもしれないよね。
何って、自分の心の状態かなあ。
人生の歩みかたかなあ。
人とのコミュニケーションかなあ。
この間もある彼女の話で、今まで、ずううっと母親をみるとイライラしちゃったり、泣き喚いたりしていたのね。
そう、それもそのはず、彼女が小さいときに受けた傷があまりにも大きくて、今までも癒されていなかったのね。
それが解らなくて、ずううっと大人になってから、
結婚もし、子供さんを生んでから、どんどん、母親に対して、訳のわからない感情が出てきて。
それを誰にぶつける事も出来ず、旦那さんや、友人や、知人にどんどん当たってしまっていて。
自分では、その事が、母親との関係にあるなんて全然気づいてなくてねえ。
そんな人間関係をしては、落ち込んでみたり、ひねくれてみたり。
そりゃそうよね。
助けて欲しい時にいなくって、自分(母親)が面倒を見てもらいたいときに、子供に要求されてもね。
何ぼ子供だからっていっても、できることとできないことがあるわけよ。
でも彼女は世間の眼もある、自分はこの人の子供だから、面倒をみなくっちゃって思って、頑張って頑張って面倒を見てきたわけだ。
それがある時爆発しちゃったのよね。
もちろんいい事。
それを直接お母さんにもぶつけれた。
まあ、この方はお母さんが生きてらっしゃる時に
気づかれたのね。だから直接もぶつける事が出来た。
そうしたらお母さんは、今頃何言っているの?
の、きょとんとした態度。
あいやああ。
彼女としたら、がっくりって感じだったんだって。
『あああ、私は母親に言われた事、された事が、苦しくて、辛くて、うん十年生きてきたけど、母親はわかってなかったんだああ。』ってね。
まあ、それは来るわね。
だって、彼女なりに、意を決して、言ったわけだからね。
そうだよ。
お母さんにそんな事言ったら、嫌われちゃうって潜在意識のなかではあるわけなのに、それをキチンと伝えたわけだから。
そやああ、涙だの、わめきだのあったみたいよ。
良くやったよね。
で、彼女は気づいたんだって。
言ってみて、母親と話をしてみて、母親の嫌なところが自分もそっくりあって、その嫌な部分を鏡を通して、親子で、見つめ合っていたってね。
んんん。
恋愛をしている男女が見つめあうのはいいけどねえ。
って、違うってね。嶺
まあ、そんなんで、気づいたところで、逆に気持ちもおちたわけだ。
そりゃなるわ。
だって、自分が親の事を嫌だって思っていたところが、なんとなんと自分自信も持っていて、それが
引き出されている事をまじまじと見ちゃったんだもんね。
でも、それからかな。
逆にそっかあって認めちゃって、じゃあ、何処が
母親の課題で、自分の課題は何かって事が解ってきて。
母親の育った環境も認めれるようになってきて、
自分はその親の偶像を見てきて、ただまねをしてきたんだってね。
そう、何も親の真似をする事ないんだってね。
それから、どんどん、彼女は本当の自分を見るようになってきて、無理した事はせず、背伸びもしなくなった。
つまり、相手に振り回されなくなったって事ね。
手を貸したいときには自分で『何か私にできることあったら、言って』ともいえるようになり、逆にできない事は素直に断る事も。
それをきっかけにご主人ともとても仲良くなれた。
今まで、ご主人がぶすっと帰ってきたら、自分が何かしたのかって思っちゃったらしく、逆に切れてご主人に八つ当たりをしたり、わがまま言ったり。
でも先日店に来て、『主人がむっとした顔で2日も3日もいたので、つい、何があったか知らないけど、それは私に関係あるのかしら。それとも関係の無いことであれば、一緒にいる私も嫌な気になるよ。何か私に手伝うことあれば、言って。』と。
おおおおお。
素晴らしいね。
そしたら、ご主人『そうだよな。ごめん。
会社で色々あって、お前のせいじゃないから。ただして欲しいのは、一人にしてほしい。』
なるほろね。
仕事で何かあったのね。
それから、奥さんは彼を1人にすべく、お出かけしたりして。
で、程なくして、ご主人から笑顔がでて、奥さんも笑顔で、店に来てたのね。
まあ、いい人間関係を築き始めているのね。
うらやましいね。
人間って、自分の心と向き合うって相当エネルギーがいるわけで。
それはどうも親との関係を見ないわけにも行かず、
親御さんのいない方は、養育者だよね。
どちらにしても、自分が育った時に関わってくれた人々とのことを見つめなおすと、自分が見えてくる。
そして、気づくのね。
ああだこうだ言っていたのは、実は自分にもあるって事を。
その時だわね。
まずは落ち込む。
どんどん、落ちる。
で、この時が一番大切ね。
彼女は店に来た時そうとう落ちていた。
と言うか、落ち込み始めていた。
だから、1人じゃ無理。って伝えて。
で、私も一緒についていったのね。
何処までも、何処までも。
そしたら、最後の最後に底ついて、そしたら、
浮上してきたわけだ。
彼女に『一緒に考えよう。』って伝えた時、泣いて喜んでくれていたのね。
私も何処まで行けるか解らなかったけど、いつも言うとおり、人間死ななきゃ生きられない。って信じてね。
一緒に死ねたから、一緒に生きられた。
つまり、終わりが始まりだったのかも知れないわね。
今も沢山の人が、死にたくないと言い、もがき苦しんでいる人がいるのね。
絶対に大丈夫。
私も一緒に死ぬから、だから安心して力を抜いて、
息をしようってね。
必ず終わりと思うときは、始まりなのだから・・・。
気づいた時はもうすでにあなたは勝っているってね。
生きていけるよ。
もっともっと楽に、幸せににね。
今、苦しんでいる人、辛い人、悲しい人、落ち込んでいる人、気づきをしようとしている人、自分を見たくない人。
全ての人が光を持っているのです。
全ての人が力を持っているのです。
全ての人が宝を持っているのです。
皆さんの中にあるダイヤモンドが輝けますよう、お祈りいたしております。
烈秊烈