ポジテイブ

んんん。
どうも、力が入らないですなあ。
毎日毎日、店の前の雪と格闘して、雪崩しをして、
手がひょれひょれだからかなあ。
身体も、筋肉痛だからなあ。
って、違うなあ。
そう、ここ最近こころに力が入らん。
気持ちに力が入らんのですね。
じゃあ、情熱が消えたかというと、そうでもなく。
やりたい事、したい事、しなければならない事が
無いわけでもなく。
したくないわけでもなく。
どうも、変です。
・・・変なのは、いつもの事かあ。@@・・・
でも、先日乳癌の友人と話した時も、
やっぱり違っていて。
彼女もまた、こんな事言っていたのね。
『何もしなくていいんだ。そのまま、息をして、生きているだけでいいんだ。って最近思うのね。ようやくこの病気になって楽になったの。こころがね。』
なんか、非常に理解をしちゃったのね。
いままでは、彼女も、癌になった、じゃあどうする、
切る、切らない、何かする、しない、何か飲む、飲まない、そんな感じで、何かに追われていた様な気がするのね。
それがストンと消えたような。
そうしたら、すううっと気が楽になったんだって。
あの話をしたのも有るのかな。
この間、江原さんがTVで、ポジティブについて説明していたのね。
私もそうだけど、ポジティブって聞くと、どうも、
前向きに、行け行けどんどんって感じがしていたのね。
で、逆にネガティブは、後ろ向きで、何もしなくて、
暗い感じ。
それが、江原さん曰く、『ポジティブって、例えると、歩いていて、靴の紐がほどけていて、それをみたらちゃんと紐がほどけているから、縛りなおす事で、ネガティブは、その紐がほどけているのを気づこうとしないで、もちろん直そうともしない人の事を言うのよ。』って。
つまり、紐は自分だってことらしい。
今の自分を見つめて、向き合って、行けることが、それだで、ポジティブだってなわけだ。
それがどんな状態であろうとも。
で、見つめない、向きあわないのがネガティブというのね。
じゃあ、その紐がほどけてるのをしっていて、それでも、どんどん走っていく人は・・・。
隣にいた、三輪さんが、れいの口調で、『それはあたなた、ばかっていうものよ。なああんも、考えてないんだから。』だって。
なるほろねえ。
それを聞いて、彼女にもその事を話してからかなあ。
どおおおって、気が抜けていったのは。
彼女も私も。
どうも、どこかで、自分は何かをしなくちゃいけない、いい事するのが大切、病気も癌も治すべき、こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ。
そして、ポジティブが良くて、ネガティブ悪い事。
なああんて、どこかで、刷り込まされてきたのね。
育った時、世間、周りにいる人からも。
そう、それじゃないと、良く無い人、愛されてはいけない人、になっちゃっていたのかもね。
だから、何もしなくても、生きているだけで、息をしているだけで、それだけで人間っていいわけだ。
彼女も、私も、どうも自分を受け入れたのかもね。
そして、出来ない自分を許した。
つまり、勝ち負けのリングから、降りたのかなあ。
んんん。
ふにゃふにゃだな。こりゃ。
かといって、何も出来ないわけじゃないよね。
これが。
こんな気持ちになってからの方が、どうも体が、動く動く。
そう、2日続けての雪崩しも、何なりと。
昨日は朝から、銀行2件と、郵便局(ちと離れているところまで)と、いつもは、車をすぐ出すんだけど、
歩いちゃったしね。
・・・・ただ単に、車の上の雪を下ろすのが、めんどかったか・・・。だははは。
まあ、でも身体は軽いわね。
体重は減っとらんが・・・。^^;
どこかで、頑張っていたのかな。
まだまだ我で生きていたわけね。
自分が、自分が、がね。
つあああんと、神様に愛してもらわないとね。
鏡に映す自分は、かがみ、というくらいだか ら、かみにがを挟んでもらい、そして、許してもらうってことかも・・・。
そのようにしか生きてこられなかった自分をもね。
許しましょうかね。
うんうん。
これこそが、ポジティブって事だもんね。
いいかも。
うふふふ。
で、にょろにょろの自分でもいいわけだ。
って、どんなもんかいのう。
ふにゃふにゃの自分でも、何をしなくても、何をしてもねえ。
そこにはまると、本当に楽になれるかも知れないね。
じゃあ、今日はポジティブという事で、月末の支払いも無事終わったことに感謝しつつ、か。
にゃははは。
これも、いつも通りね。
まっいっか。秊
ポジティブ鍊ポジティブ鍊