理由付けをはね返す。
おめでとうございます。烈
フィギアの高橋大輔選手、銅メダル取りましたね。
すごいですねえ。
怪我をして、それからの復帰ですから、更にすごい。
我々は4年間の一瞬しか見れないけど、その裏には
彼の相当の努力と、葛藤と、苦しみ、悲しみ、喜び
まあ、言葉では言い表せないでしょうね。
それが、最後のガッツポーズにでたのかなあ。
4回転ジャンプもやらないで後悔するよりは、
やって後悔しない。
彼は自分の弱さを克服したのでしょうね。
今となれば、結果はメダルを取れたけど、もし
4回転をせず、メダルも取れなかったら、それを
自分の怖さを乗り越えれなかった理由付けになっちゃいますしね。
それを自分の言い訳にしたくなかった、その彼の思いがジャンプが成功してもしなくても、OK。
だから、次の演技に集中して、穏やかな顔つきで
最後まで自分のエネルギーを出し切れた。
だから、ガッツポーズなのねえ。
理由付けをはね返した瞬間だわねえ。
更に、織田君だって同じ。
途中で、スケート靴の紐が切れてしまうアクシデント
が起きちゃったけど、最後のインタビューで彼も自分の責任だと言って泣いていたよね。
それも、本当はこのオリンピックに来てあまりの威圧感に圧倒され、怖くなった自分の理由付けがほしかったのかも知れないよね。
でも、あそこで彼が紐が切れても、また結び直し、
そして、リンクに戻って演技を最後までやったことは
もうすでに、自分で自分の理由付けをはね返していた
って言うことではないでしょうか。
すごいなあ、えらいなあ、って思いましたね。
たぶん皆さんも同じように感じていたんじゃないかな。
やはり何事も、結果ではなく過程が大切なのかも。
で、この優香さんもつい4、5日前になりますが、
あることがきっかけで、理由付けを少しはね返すことが出来ました。
それは、やはり患者さんからの教えでした。
最近立て続けに、患者さんからの怒りメッセージを
いただきまして・・・。
それは、ある患者さんの怒っていたことを冷静な感情で分析をしてしまったことが、発端でした。
それが、私への怒りに発展し・・・。
ちょうど、具合が悪くなっていたので、漢方もだしたのですが、更にひどくなり。
色々飲んでも結果がともなわず。
私も、おかしい、おかしい、と思って考えた結果、
「そっかあ、私があの時彼女の怒りを受け止めてあげ
なかったのが、原因かあ。だから、漢方が効かない
のではなく、私を拒否しているから、彼女には
入らないんだあ。」
それで、「ごめんなさいねえ。わたしが、受けてあげなかったばっかりに・・・。」と謝ったんですね。
まあ、細かく言うと色々ありますが、
このことが一番強く感じたんですね。
それから、色々ありましたが、彼女も自分で自分を見て、色々気づいた点もあったようで。
それから、すっと漢方が効き出して、症状が
収まってきたのです。
良かった、良かった。
でも、これで私も終わらず、いつものように、
このことを通して、何が私の課題か?を考えたのです。
その頃、ちょうど他の患者さんにも、怒りや辛さを
ぶつけられていて・・・。
ちょっと重なったんですね。
これは、彼女、彼らの中にある問題が、私を通して引き出され、最初に皆さんの感情が私に向けられる。
つまり、カウンセラーに感情転移をすると言われます。
んんん、私も頭ではわかっているのですが、これが
一人二人ならともかく、多くなるとねえ。
まあ、私もまだまだ未熟なところがあるのはいたしかたありませんが、一応私も人の子でして・・・。
ぐったりときていたのは確かです。
ほいでも、私もプロ?としての意地なのかしら、
ただの欲たかりともいえますが、自分に答えを求めました。
必ずや、意味があると。
もちろん、先程の方のことで言えば、怒りを受けてあげれなかった。は一つの課題クリアですね。
では、何故、怒りを受けれなかったのか。
怒りの後ろには、悲しみが詰まっているともいいます。
そう、その悲しみを受けれなかった。と言うのは、
自分にもその悲しみがあるのではないかと。
何処に、どのように、いつ、どうして?
と自分に聞いて行くうちに、自分の父親にぶつかったんですね。
たまたま、父親からちょっと頼まれごとを言われていたのですが、それを先延ばしにしていたのです。
どうも、素直に頼まれた事が出来なくて。
なんとなく、自分の中にイライラしているものが
あって・・・。
やまとの講座の用意もあったし、彼女達との事も
考えていたし、コピー機が壊れてしまったりと・・。
(これは関係ないか。まあ、これも理由付けですけどね。^^;)
それから、じゃあ父親に対しての悲しみは・・・。
と考えていたら、先程の彼女からの手紙や、今カウンセリングをしている方が、「自分は両親に言いたいことを言ってこなかったんだ。」「自分さえガマンすれば、この家庭はうまく言ったんだ。」という言葉が自分のあたまで、ぐるぐる廻ってきて。
そして、そうだ、私も患者さんと同じく、父親に
対して言いたいことを言えず、そして悲しんでいたんだ。それを怒りとして、いつも会うと、話が通じなく、けんかのようになって別かれてしまって。
そこで、手紙をくれた彼女の文章の中で、「私は手紙だったら言える」って言うのにピンと来て・・・。
そうだ、そうだ、私も父に手紙を書こうって、思ったんですね。
いままで、どうして気づかなかったんだろうって感じでした。
それから、まずは、頭の中で、
「お父さんへ。
頼まれていたもの遅くなってごめんなさいね。
(初めて父に謝れたかも・・・。)
ちょうど、今お店で勉強会を開いています。
これは、人間同士の、コミュニケーションについてです。現代では、人と人がうまく会話の出来ないことで、悩んでいる方が多いです。
ある人は、お母さんに上から押さえつけられて、何も自分の意見を言えず、うまく自分を表現できない為に、いつもイライラしたり、落ち込んだりしている方がいます。
また、ある人は、自分の意見は正しいけれど、相手の意見に添えない、そんな自分を責め、仕事にいけなくなってしまっている人もいます。
実は、お父さんとお母さんも同じだった気がします。
お父さんも、お母さんもいつもおじいちゃん、おばあちゃんの顔色を伺って、私を見てくれてはいませんでした。
休みになると、いつもおじいちゃん、おばあちゃんのところに行き、平日は仕事で全くと言っていいほど、
私と遊んでくれたことがありませんでした。
私はとても淋しい思いました。
だけど、お父さんもしかたがなかったんだと、今思います。なぜなら、そのまた、おじいちゃん、おばあちゃんだって、その上の両親の顔色を見て、自分を犠牲
にしてきたと感じていたのですから。
更に、お母さんは自分のお父さんを早くに亡くしているので、お父さんに自分の父親を重ねていて、お父さんに自分の理想の父親像を求めていたと思います。
また、お父さんはお母さんにおばあちゃんの理想の母親像を求めていた。
これを、供依存と言うそうです。
その中で生まれた私は、やはり、あなた方の顔色を伺い、親には何もいえない、自分の感情を伝えられない
人間に育ちました。
「自分だけガマンすればいい」「私が黙っていないと、この家族はダメになる」
特に、優香は一人っ子でした。
だから、姉妹がいないので、誰にも相談できなかった。周りは見てみぬフリをする大人ばかり。
いつもひとりだった。
辛くて、苦しくて、怖くて、淋しくて、いつもひとりで、泣いていました。
どうしたらいいかわからなった。
誰も、教えてくれなかった。
誰も、助けては、くれなかった。
誰も、何も・・・。
私をわかってくれる人は、ひとりもいなかった。
・・・・。
でも、今では、優香と同じような状況の患者さんの話を聞いています。
そして、私なりに患者さんに勇気をあげれたら、って
思いつつ、漢方薬なり、サプリメントなり、そして、
みんなの心に固まっているものを溶かしだすカウンセリングをやっています。
これが、私の仕事です。
人は、自分の中にある様々な感情を受け入れる量と、
相手にある様々な感情を受け入れる量は比例すると言います。
お父さんもお母さんを受け入れる量、そして、
お母さんもお父さんを受け入れる量。それがきっと
少なかったのだと、思います。
でも、私は、それを今一生懸命増やしている状況です。
そのために、今お父さんに手紙を書きました。
お父さんには、温かく見守ってほしいです。
何故、今この時なのかと思われるかも知れませんが、お父さんにこの手紙を書くには、私には40数年の歳月が必要でした。遅くなって、ごめんなさいね。
これからも、必ずや、自分の中にある感情をすべて受け入れようと思います。
だって、どんな事にも勇気をもって挑戦していくお父さんの血を受け継ぎ、どんな事にもあきらめないお母さんの血を受け継いでいる娘ですから・・・。
優香はお父さんとお母さんの子に生まれて、良かったです。」
・・・・。
これらをまず頭の中で、書いていたら、どんどん
涙があふれてきて。
一晩中、枕をびっしり涙でぬらしました。
・・・・。
それから、やおら起きると、なんとめがねのつるのところが、ポキっと、まあ折れていたのです。
それを見て、なんか、ふっと自分の心を支えていた、
父への怒りが一緒に折れて、なんだか、こころが
この上なく、温かな、・・・いや、穏やかな・・・いや、幸せな気分になりました。
(ただ、修理には金額がかかると言うことで、淋しい
気分になりました。たははは ^^;)
これが、自分の理由付けをはね返した瞬間だったと
感じました。
そう、父への怒り、私のことを聞いてくれなかった、
見てくれなかった、母と幸せな家庭をもてなかった、
様々なマイナスの感情を、自分が相手を受け入れない
理由付けにしていたと思います。
本当に、患者さんを通して、また幸せをもらいました。
つい数日前までは、「どうして、自分はこんな仕事についたんだろう」「どうして、わたしは辛いことを一人でしょわなくてはいけないのだろう」
「どうして・・・。」と、ちょっと悲観的になっていたんですね。
でも、今は、この父への手紙を書く為に、この仕事を
を通して、教えてくれたんだ。
だから、すべてに、感謝です。
どんなことも意味がある。
これを、自分が体験しない限り、患者さんにも
伝わらないかなと思い、頑張りました。
ある時期、理由付けをするのは大切だと思います。
でも、いつかはそれをはね返す、そんなときが皆さんにも来ると思うのです。
これは、私のやり方です。
どんなやり方でも、どんな状況でも、どんなに時間が
かかっても、それぞれの皆さんのやり方でいいと思います。
人は比べるものではないのです。
自分も含め両親がご健在で、一応世間で言う、経済的にも家庭的にも恵めれて育った状況の中の人も、心が満足して育っているかと言えば、そうではない人もいます。
この方々は、どうしてもご両親を早くになくされたとか、経済的に苦労した人と比べると自分の心の寂しさは、言ってはいけない、こんなことで弱音を吐くのは
罰があたるとか思っている人も中にはいます。
それがまた、自分を抑圧する原因にもなるようです。
逆に、大変な状況(DV・性的暴力・いじめ・貧困・出生の秘密・もしくはご両親の離婚・死・・・etc)で育てられた方も、自分の中にある、怒りも、鬱憤も
中に閉じ込めてしまって、世の中に対する、又は、
関係する人に対して反抗的対応しか出来ない人、
人を信じることが出来ない人もいます。
それがまた、自分を責める原因にもなるようです。
ですから、今、色々な面で、悩み、苦しんでいる皆さんにも、理由付けをはね返す時が来て、震えていた心があったまる時がかならずや来ますこと、お祈りいたしております。
私もこれで終わりとは思っていません。
生きている限り、一つ一つ、理由付けをはね返して行ければいいなあ、って思っています。
時たま理由付けを使いながら・・・うふふ。^^
オリンピックで活躍している選手の皆さん。
沢山の勇気を有難う。
そして、これからも応援しています。劣