受ける力と添う努力
いやああ。疲れました。の一言。
3日間 6月の13・14・15日とお店まで休ませてもらって、TCSのカウンセリングスクールに
出させてもらいました。
(ここで、ご来店・お電話いただいた方にお詫び
申し上げます。++)
で、話は戻りますが、何が疲れたかと言うと、とってもとっても研修の内容が濃くて濃くて、3日間で、自分の生まれてからこれまでの3十○才の年月を一気に引き出された感じでした。
ですから、疲れてしまったのでしょうね。
ご一緒させてもらった方も相当来たみたいでしたね。いやいや大変でした。お疲れ様です。
特に今回は家族とのミニュケーションでしたので、それぞれに思いも思いが出たのでしょう。
また、講師の渡辺先生ももともと脅迫神経症を十数年わずらった方でしたから、まあ、経験者のお言葉も大変身に感じましたね。
その中で、自分たちはいかに家族の話も、友人の話も聞けていなかったことを痛感しました。
聞いているようで、答えは自分の考えを押し付けて
いたのだとも私は反省しっぱなしでしたね。
私の場合も患者さんの訴えを本当に分ってあげようとしていなかった気がします。
人間は全て子供のときから、『受け止めてほしい・認めてほしい』と思いながら、生きているわけで。
『自分の自己受容が他者需要に比例する』は4年も前から聴いていた言葉が今回ようやく私の体の奥の奥に染み渡った気がしましたね。
そう、その自分を受容すると言うのが、これまた、
大変な力の要ることでして。
『おまえ、そんなことも出来ないのか。いつまで、やってるんだ。』などど、父親なんかにいわれたもんにゃ。『分ってるわよ。わたしだって、一生懸命やってるんだから、早く終わらせようと、してるのに。』などど、口答え。
その、言葉の裏の気持ちなど、そうそう考えていられないですよね。
『そうっかあ。父さんは早く終わらせてしまいたいんだよね。父さんはこんなこと簡単にできてしまうものね。私は不器用だから、時間がかかっちゃうんだよね。ごめんね。』なあどと、自分の出来ない面を自分さえも認めていないと、出てこない言葉かもしれないですね。
くううう。やりがいがあるわああ。
それも一度父親の意見を受け入れて、それから、添うことも必要でして。
その努力も生半可ではないようです。
我々人間はこの受け入れる力がつくことだけでも
自分の我力を取る訓練になるようです。
ふむふむ。
『そうっかあ。』がまず出ない。
そういいましたら、渡辺先生いわく『これはフランス語だからね。すぐには出ないのよ。練習が必要かもね。』ですって。
くううう。ごもっとも。
まあ、それでも、ここまでやってきた自分をほめながら、次のステップに一段一段上っていければいいなあと、いえ、上るんだああ。っと強い思いを抱きつつ、あまりの疲れで、ダウンしてました。
急にフランス語するんだもん。
○×▲※ **ねえ。
『受ける力と添う努力』これからの私の指針です。v