意味があるんだよね。 全てに。

さて、例の宮大工さんですが、この建築屋さんは、
お寺さんなどを沢山手がけていられているとお話を聞いていました。
お話だけでは、どうもたち行かなかったので、早速
建築を見させてもらいに行きました。
ちょうど基礎あたりから見れる家がありました。若いご夫婦のお住まいでした。
忘れもしない、昨年の10月11日だったと思います。
お休みの日でした。
そのお家は、すでに柱と屋根も出来ていて、やはり木のお家はいいなあ、と漠然と思っていたぐらいでした。
そこへ、営業の方がいらして、彼に自分のしたいことを説明して、今までの建築屋さんとの流れを話させてもらいました。
どうも前の建築屋さん(Kさん)は腰を引かれている感じだとも。
これは、その営業さん(Fさん)曰く、やはり6月に行われた建築法の改正によって建築士さんが恐がってなかなか前に行かないのが現状ですね。
と言われたんですね。
んんん、それもそうだなああって思って、それで、
現実私が考えているものは建てれるのかどうかと
聞いてみたら、返事は次の日来店されて、
「建てれます。」とはっきりと言われたんですね。
それからです。
では、どんなものが建てれるのか、どんな間取りがいいのかを打ち合わせをしようと。
ようやく!?始まったんですね。
今のお店が立ち上がる計画が。
そして、Fさんは、建築士さんにまず図面を作ってもらいました。
それはどうにもイメージと相違していて、
どんなにFさんと話してもなかなか伝わらなかったんですね。
それで、建築士さんを連れてきてもらうことに。
それは、次の週になり、建築士さんを連れてきてもらって、また私の説明を話すのですが、これでも思い通りの設計図とならず。
その設計士さんは宮大工の建設屋さんとは別のところからいらしていて。
結局一度しか私は会うことがありませんでした。
何度もそのFさんに言っても思い通りに行かなかったですね。
そう、何度もです。
そんな中、ストレスもあったのでしょうか、
原因は、初めてその建築屋さんの現場を見に行ったときあまりにも寒かったんですね。
それにより、風邪を引きましてね。
それが、どうもいつもと違って。
いつもですと1回や2回でお薬を飲むとちゃんと直っていたんですね。
それがなんと、1ヶ月たっても咳が取れなくてね。
まじめにまずいかなと本人が思って、さすがに
病院行こうかと思いました。
それと一緒に、Sさんがまた私に、激しいことを言ってきたんですね。
今思えば、あらあらと思うことでも、その当時は
間に受けていたんですね。
これも以前ブログに書かせてもらったのですが、
まず、私の心が悪いって言うのです。
悪いと言うか、私の行動、考え方が間違っているので、沢山色々あるのだと。
この間の建築屋さんKさんについても、私が悪いので、
そういう人しかついてこないんだ。
とか、先生の心は何も感謝をしていない。とか。
何も心配要らないのに、何を恐がっているか分らん。
とか。
・・・・こっちだって、何が恐いのか、何が不安なのか、いえ、本当に恐がっているのか、不安があるのかもよく分らんのに。って、感じでした。
どんどん、心を引き落とされ続けていましたね。
この頃は。
でも、どうも土地が出来て来てから色々あるので、
何かあるのかと思いはあったんです。
で、母が心配をしてある先生(Mさん)に聞いてみたんですね。
この方はきちんと時間で金額が決まっている方で
占いと言うより、最近は人生相談まで出来そうな方
です。
その先生に聞きましたら、やはり土地を購入をしたら、お払いをしましたか?と聞かれたそうです。
それで、母はいえ何も。
と言いましたら、それは、土地の霊がいたずらしたのでしょうね。と言うことです。
土地と言うのには、我々の知らない、成仏できない、
動物もいるだろうし、もちろん人間もいるから、
きちんとまずお払いをするのがいいんだそうです。
「へえええ。」
それから、お払いと言っても我々はよく知らないと
言ったら、お坊さんでも神主さんでもいいですから。
と言うことでした。
一番いいのは、建築屋さんに聞くことです。
とも言われたんです。
それじゃ、お坊さんと言えば、宮大工の建築屋さんの社長が一番知っているだろうと思って母が連絡をしたら、社長さんもよくご存知で、すぐ手配をしてくれました。
たまたま私の父方が日蓮宗の方でしたら、その筋の
お坊さんがいらして。
すぐ連絡が取れて、11月の日のいい日を選んで、
その日をお払いの日にしたんですね。
そのM先生曰く、以前のK建築屋さんが言ったことも
全然彼は思ってないことを吐いたはずだよ。
それも、霊のいたずらだし、建築フェアーでお会いしたOさん。建築士の方。も、ちょっと私が意味不明に思えたことも霊の仕業だから。
だからきっとお払いをしてもらったら、大丈夫。
とまで言われたんですね。
で、更には、Sさんの事も相談をしたら、
M先生曰く、「霊を見れる人はこの世に五万といるんだよ。でもね、それで今生きている人をいい方向へ導くのはかまわないけど、惑わすようなのはいくないのね。沢山色々な人が言ってくるかも知れないけど、
先生も見極めることも大切よ。」ととても的確にアドバイスいただいたんですね。
本当にこの時は救われました。
感謝します。
そのSさんについても最初はあまり疑問を抱かなかったんですが、彼女がちょっと腎臓があまりよくなくて。
で、私も色々お世話になっているので、念力いえ、ちょっとパワーを送って、早く彼女の腎臓がよくなりますようにってお祈りしていたんですね。
そうしたら、私の祈りだけではないのでしょうが、
その2週間後ぐらいに彼女と話したら、いつも行っている病院に受診したら、腎臓の数値がよくなっている。
もう薬はいらないよ。
って言われたそうです。
すかさず私は「良かったねえ。」と伝えたら、Sさんの返答が、「いいんだか、悪いんだか。」だったんです。
以前も書きましたね。
そう、彼女は国からの補助を受けており、腎臓がよくなったら、この補助が受けられなくなると。
だから、いいんだか、悪いんだか。
そのときですね。
私にあれだけ心の事を説いてくださったのに、自分の病気がよくなったら困るようなことを言われたのは
本当に感謝と言うことを彼女は分っているのかどうかと。不思議に思い始めたきっかけでした。
その前に彼女は私に、真剣に私の腎臓がよくなればいいって思ってないでしょう。と言う捨て台詞も吐いていたのです。
んんん????
それでM先生は、Sさんについては、どうも私と母を引き裂きたかったんじゃないかと言うことも言われていました。
まああ、あの時は自分もぐちゃぐちゃでしたね。
振り回されるなんて言うのは当たり前で、それ以上に
罵倒されるもんの、引き回されるもんの、けんかを売られるもんの、建築屋さんとは前に進まないもんの、風邪はなおらないもんの。
わやわやでした。 もうやだ~(悲しい顔)
でも、それらに決着の日が来たんですね。
それが、11月の中ぐらいでしたかね。
お払いをしていただいたのが。
そのお坊さんがまたすんばらしいの。
約一時間ぐらいかな。
まずまず、テントなんて張って、お供えもすごく豪勢で、仰々しくしたのですが、この円山中、いえ、札幌中に響き渡るすばらしいお経を上げてくださってね。
お経を読んでももっている間、涙まで出てきたんですよ。感動の涙です。
金額も相当かかりましたがね。
ありがたかったです。
本当に。ありがたかった。
それからですよ。
まあ不思議。咳も次の日から止まってきましてね。
これこそ、病は気から・・・。
一応薬をちょうど変えたこともあったんですけどね。
それも、ピンと来たんですね。
なぜか、お払いが終わってから。この薬が合うってね。
不思議~。
更に続いたことは、Sさんに対してもはっきりと
自分はもう大丈夫だから。って伝えて。
それでも彼女の捨て台詞は、「いいんじゃないの、このままでも、先生はちんたか食べていけるんじゃない。まあ、お母さんの癌もまた再発するだろうけどね。何を言っても無駄な人だよね。」
とまあ、今思い出すと、あらあら、まあまあって感じですけどね。
そして止めがそのFさんとの事。
そろそろだいたい図面が書きあがったのですから、
見積書を出してほしいとお願いしたんです。
それから、約半月。
うんともすんともなく。
相手も忙しいんだから仕方が無いのかなあ。と思っていたら、Fさんがようやく見積もりを持って来てくれて。
見てみると、こちらの予算の約400万ぐらいオーバーでした。
で、内容を見ても猫の額ほどの庭に180万ものお金。
更には、オール電化で、約350万位の予算。
ええええ がく~(落胆した顔) ですよ。
それで、やり直しをかけて、もう詳しく出してほしいと言ってからまた約3週間かなあ。
これまたうんともすんともなく。
それで、以前見せてもらった若夫婦のお家が
12月のクリスマス前に引渡しだと言うので、もう一度
最後に家を見せてもらいに。
それも仕事を終えてからだったかな。
日曜日のね。
ついでに社長の家にも直談判ならずも、直に請求にいったんですね。
社長もいて奥さんもいたので、明日にでも見積もり表を出してほしいと。
そして次の日が来て、忘れもしないクリスマスの日。
12月25日ですわ。
昼から彼らが来て、見積もりを見るや否や、
この間Fさんが持ってきたものから低くなっているのならまだしも、更に500万のアップ 右斜め上
へっ あせあせ(飛び散る汗) な、な、なにこれ。の世界ですわ。
母はもうその時点で、これは終わっていると思ったらしいのですが、私は食い下がって行って。
どうにか予算内に出来ないか見ていったら、
どうにもこうにもならず、せいぜい安くなるにも
設備を落とすしかないって言われて、その設備も
見たら、自分のところの台所があまりにもちゃっちかったんです。
その前の日、若夫婦のところで見た台所が大理石使用の半端じゃなく立派なキッチン。
でも、彼らの予算は私の予算の半分以下。
プラス本当はそのキッチン。彼らの予算以上を
建築屋さんが無理して入れたと聞いていたので、
ちなみに社長に聞いてみたのね。
私の家のキッチンは上中下で言ったらどれ?
って。
答えは、「中の下」だってさ。
もうこれで、私も吹っ飛びました。
「結構です。」と。
だって、おかしいじゃないですか。
私の家の予算より半分の方が上の上を入れれて、
どうして私のところは、中の下なんですか?と。
このときは分りませんでしたが、実はここの業者さん。そのご夫婦の建築とすぐ隣で建てていた老人施設
の建築で、大分赤を起こしていたみたいで。
それを私の方にかぶせて来たみたいでした。
そういうのって、違うと思うんですけどね。
建築業者さんってこういうことってあるのかなあ。
まあ、それで、その日は荒れ狂いましたね。
約Fさんと知り合ってから、3ヶ月。
引っ張られて引っ張られて、全然見積もりもとれず、
あげくの果ては、中の下ですから。
その日、母のところで、打ち合わせをしたのですが、
彼らが帰ってから、食べるものも無くてね。
日本酒だけあったので、空酒、それも深酒しましたね。
案の定お決まりです。
夜中に、具合が悪くなって、 トイレ に直行。
それも、馬鹿にされたと言うか、なめられていた
自分にも相手にも、なんとも言いようの無い腹立たしさがこみ上げて来て。
まあ、相手がこちらを馬鹿にしたかどうかは分りませんが、一般的に3ヶ月しても図面もまともにもらえず、
見積もりは、出来ると言ったので頼んだのが、予算より約1000万も多くくるのはあまりにもおかしすぎると考えたんですね。
その時は泣いているんだか、吐いているんだか、ひどかったですね。
そう、お嫁にいけないくらい。・・・・。
すでに行っていないか。のほほほ。
やあ、今思い出すだけでも、いやな思い出ですね。
ただね、ここで終わってはそれこそ、私何をこの十数年勉強してきたのかって事ですよ。
そう、これも意味があるんだ。絶対にある。
って思って、次の日から考えたんです。
そうしたら、やはりこの建築屋さんとご縁が
あったのは、お払いのお坊さんに出会わせてもらえたんですよね。
そう、あんなすばらしいお経をあげてくださるお坊さんはそうそういないと思うんです。
・・・と言いつつ、どこのお寺さんだったか、名前を覚えていない。・・・ごめんなさい。 ふらふら
そして、普通なら、神主さんだと考えるところ、
お坊さんっていったのも、やはり宮大工さんで、
お寺さんばかりをされていた建築屋さんだったからで、これは、やはり感謝だなああって思えたんですよね。
・・・まあちとそれには時間はかかりましたが・・・^^;
でもって、母は向こうもこれだけ人をひっぱたんだから、返事は来年でいいんじゃない?と言っていたんですね。実は、返事はすぐしなかったものですから。
ただよくよく考えると、やはりこれも感謝だし、
人がそのようにしたからと言って、同じ土俵に立っていては、成長も無いから、私はすっきりとした気持ちで、新年を迎えたいからと思い、年末ぎりぎりでしたが、丁重にお断りさせていただきました。
本当に激動でした。
昨年の土地が見つかってからね。
ただし、激動は、年を開けてからも続くとは
思いませんでしたがね。 さて、例の宮大工さんですが、この建築屋さんは、
お寺さんなどを沢山手がけていられているとお話を聞いていました。
お話だけでは、どうもたち行かなかったので、早速
建築を見させてもらいに行きました。
ちょうど基礎あたりから見れる家がありました。若いご夫婦のお住まいでした。
忘れもしない、昨年の10月11日だったと思います。
お休みの日でした。
そのお家は、すでに柱と屋根も出来ていて、やはり木のお家はいいなあ、と漠然と思っていたぐらいでした。
そこへ、営業の方がいらして、彼に自分のしたいことを説明して、今までの建築屋さんとの流れを話させてもらいました。
どうも前の建築屋さん(Kさん)は腰を引かれている感じだとも。
これは、その営業さん(Fさん)曰く、やはり6月に行われた建築法の改正によって建築士さんが恐がってなかなか前に行かないのが現状ですね。
と言われたんですね。
んんん、それもそうだなああって思って、それで、
現実私が考えているものは建てれるのかどうかと
聞いてみたら、返事は次の日来店されて、
「建てれます。」とはっきりと言われたんですね。
それからです。
では、どんなものが建てれるのか、どんな間取りがいいのかを打ち合わせをしようと。
ようやく!?始まったんですね。
今のお店が立ち上がる計画が。
そして、Fさんは、建築士さんにまず図面を作ってもらいました。
それはどうにもイメージと相違していて、
どんなにFさんと話してもなかなか伝わらなかったんですね。
それで、建築士さんを連れてきてもらうことに。
それは、次の週になり、建築士さんを連れてきてもらって、また私の説明を話すのですが、これでも思い通りの設計図とならず。
その設計士さんは宮大工の建設屋さんとは別のところからいらしていて。
結局一度しか私は会うことがありませんでした。
何度もそのFさんに言っても思い通りに行かなかったですね。
そう、何度もです。
そんな中、ストレスもあったのでしょうか、
原因は、初めてその建築屋さんの現場を見に行ったときあまりにも寒かったんですね。
それにより、風邪を引きましてね。
それが、どうもいつもと違って。
いつもですと1回や2回でお薬を飲むとちゃんと直っていたんですね。
それがなんと、1ヶ月たっても咳が取れなくてね。
まじめにまずいかなと本人が思って、さすがに
病院行こうかと思いました。
それと一緒に、Sさんがまた私に、激しいことを言ってきたんですね。
今思えば、あらあらと思うことでも、その当時は
間に受けていたんですね。
これも以前ブログに書かせてもらったのですが、
まず、私の心が悪いって言うのです。
悪いと言うか、私の行動、考え方が間違っているので、沢山色々あるのだと。
この間の建築屋さんKさんについても、私が悪いので、
そういう人しかついてこないんだ。
とか、先生の心は何も感謝をしていない。とか。
何も心配要らないのに、何を恐がっているか分らん。
とか。
・・・・こっちだって、何が恐いのか、何が不安なのか、いえ、本当に恐がっているのか、不安があるのかもよく分らんのに。って、感じでした。
どんどん、心を引き落とされ続けていましたね。
この頃は。
でも、どうも土地が出来て来てから色々あるので、
何かあるのかと思いはあったんです。
で、母が心配をしてある先生(Mさん)に聞いてみたんですね。
この方はきちんと時間で金額が決まっている方で
占いと言うより、最近は人生相談まで出来そうな方
です。
その先生に聞きましたら、やはり土地を購入をしたら、お払いをしましたか?と聞かれたそうです。
それで、母はいえ何も。
と言いましたら、それは、土地の霊がいたずらしたのでしょうね。と言うことです。
土地と言うのには、我々の知らない、成仏できない、
動物もいるだろうし、もちろん人間もいるから、
きちんとまずお払いをするのがいいんだそうです。
「へえええ。」
それから、お払いと言っても我々はよく知らないと
言ったら、お坊さんでも神主さんでもいいですから。
と言うことでした。
一番いいのは、建築屋さんに聞くことです。
とも言われたんです。
それじゃ、お坊さんと言えば、宮大工の建築屋さんの社長が一番知っているだろうと思って母が連絡をしたら、社長さんもよくご存知で、すぐ手配をしてくれました。
たまたま私の父方が日蓮宗の方でしたら、その筋の
お坊さんがいらして。
すぐ連絡が取れて、11月の日のいい日を選んで、
その日をお払いの日にしたんですね。
そのM先生曰く、以前のK建築屋さんが言ったことも
全然彼は思ってないことを吐いたはずだよ。
それも、霊のいたずらだし、建築フェアーでお会いしたOさん。建築士の方。も、ちょっと私が意味不明に思えたことも霊の仕業だから。
だからきっとお払いをしてもらったら、大丈夫。
とまで言われたんですね。
で、更には、Sさんの事も相談をしたら、
M先生曰く、「霊を見れる人はこの世に五万といるんだよ。でもね、それで今生きている人をいい方向へ導くのはかまわないけど、惑わすようなのはいくないのね。沢山色々な人が言ってくるかも知れないけど、
先生も見極めることも大切よ。」ととても的確にアドバイスいただいたんですね。
本当にこの時は救われました。
感謝します。
そのSさんについても最初はあまり疑問を抱かなかったんですが、彼女がちょっと腎臓があまりよくなくて。
で、私も色々お世話になっているので、念力いえ、ちょっとパワーを送って、早く彼女の腎臓がよくなりますようにってお祈りしていたんですね。
そうしたら、私の祈りだけではないのでしょうが、
その2週間後ぐらいに彼女と話したら、いつも行っている病院に受診したら、腎臓の数値がよくなっている。
もう薬はいらないよ。
って言われたそうです。
すかさず私は「良かったねえ。」と伝えたら、Sさんの返答が、「いいんだか、悪いんだか。」だったんです。
以前も書きましたね。
そう、彼女は国からの補助を受けており、腎臓がよくなったら、この補助が受けられなくなると。
だから、いいんだか、悪いんだか。
そのときですね。
私にあれだけ心の事を説いてくださったのに、自分の病気がよくなったら困るようなことを言われたのは
本当に感謝と言うことを彼女は分っているのかどうかと。不思議に思い始めたきっかけでした。
その前に彼女は私に、真剣に私の腎臓がよくなればいいって思ってないでしょう。と言う捨て台詞も吐いていたのです。
んんん????
それでM先生は、Sさんについては、どうも私と母を引き裂きたかったんじゃないかと言うことも言われていました。
まああ、あの時は自分もぐちゃぐちゃでしたね。
振り回されるなんて言うのは当たり前で、それ以上に
罵倒されるもんの、引き回されるもんの、けんかを売られるもんの、建築屋さんとは前に進まないもんの、風邪はなおらないもんの。
わやわやでした。 もうやだ~(悲しい顔)
でも、それらに決着の日が来たんですね。
それが、11月の中ぐらいでしたかね。
お払いをしていただいたのが。
そのお坊さんがまたすんばらしいの。
約一時間ぐらいかな。
まずまず、テントなんて張って、お供えもすごく豪勢で、仰々しくしたのですが、この円山中、いえ、札幌中に響き渡るすばらしいお経を上げてくださってね。
お経を読んでももっている間、涙まで出てきたんですよ。感動の涙です。
金額も相当かかりましたがね。
ありがたかったです。
本当に。ありがたかった。
それからですよ。
まあ不思議。咳も次の日から止まってきましてね。
これこそ、病は気から・・・。
一応薬をちょうど変えたこともあったんですけどね。
それも、ピンと来たんですね。
なぜか、お払いが終わってから。この薬が合うってね。
不思議~。
更に続いたことは、Sさんに対してもはっきりと
自分はもう大丈夫だから。って伝えて。
それでも彼女の捨て台詞は、「いいんじゃないの、このままでも、先生はちんたか食べていけるんじゃない。まあ、お母さんの癌もまた再発するだろうけどね。何を言っても無駄な人だよね。」
とまあ、今思い出すと、あらあら、まあまあって感じですけどね。
そして止めがそのFさんとの事。
そろそろだいたい図面が書きあがったのですから、
見積書を出してほしいとお願いしたんです。
それから、約半月。
うんともすんともなく。
相手も忙しいんだから仕方が無いのかなあ。と思っていたら、Fさんがようやく見積もりを持って来てくれて。
見てみると、こちらの予算の約400万ぐらいオーバーでした。
で、内容を見ても猫の額ほどの庭に180万ものお金。
更には、オール電化で、約350万位の予算。
ええええ がく~(落胆した顔) ですよ。
それで、やり直しをかけて、もう詳しく出してほしいと言ってからまた約3週間かなあ。
これまたうんともすんともなく。
それで、以前見せてもらった若夫婦のお家が
12月のクリスマス前に引渡しだと言うので、もう一度
最後に家を見せてもらいに。
それも仕事を終えてからだったかな。
日曜日のね。
ついでに社長の家にも直談判ならずも、直に請求にいったんですね。
社長もいて奥さんもいたので、明日にでも見積もり表を出してほしいと。
そして次の日が来て、忘れもしないクリスマスの日。
12月25日ですわ。
昼から彼らが来て、見積もりを見るや否や、
この間Fさんが持ってきたものから低くなっているのならまだしも、更に500万のアップ 右斜め上
へっ あせあせ(飛び散る汗) な、な、なにこれ。の世界ですわ。
母はもうその時点で、これは終わっていると思ったらしいのですが、私は食い下がって行って。
どうにか予算内に出来ないか見ていったら、
どうにもこうにもならず、せいぜい安くなるにも
設備を落とすしかないって言われて、その設備も
見たら、自分のところの台所があまりにもちゃっちかったんです。
その前の日、若夫婦のところで見た台所が大理石使用の半端じゃなく立派なキッチン。
でも、彼らの予算は私の予算の半分以下。
プラス本当はそのキッチン。彼らの予算以上を
建築屋さんが無理して入れたと聞いていたので、
ちなみに社長に聞いてみたのね。
私の家のキッチンは上中下で言ったらどれ?
って。
答えは、「中の下」だってさ。
もうこれで、私も吹っ飛びました。
「結構です。」と。
だって、おかしいじゃないですか。
私の家の予算より半分の方が上の上を入れれて、
どうして私のところは、中の下なんですか?と。
このときは分りませんでしたが、実はここの業者さん。そのご夫婦の建築とすぐ隣で建てていた老人施設
の建築で、大分赤を起こしていたみたいで。
それを私の方にかぶせて来たみたいでした。
そういうのって、違うと思うんですけどね。
建築業者さんってこういうことってあるのかなあ。
まあ、それで、その日は荒れ狂いましたね。
約Fさんと知り合ってから、3ヶ月。
引っ張られて引っ張られて、全然見積もりもとれず、
あげくの果ては、中の下ですから。
その日、母のところで、打ち合わせをしたのですが、
彼らが帰ってから、食べるものも無くてね。
日本酒だけあったので、空酒、それも深酒しましたね。
案の定お決まりです。
夜中に、具合が悪くなって、 トイレ に直行。
それも、馬鹿にされたと言うか、なめられていた
自分にも相手にも、なんとも言いようの無い腹立たしさがこみ上げて来て。
まあ、相手がこちらを馬鹿にしたかどうかは分りませんが、一般的に3ヶ月しても図面もまともにもらえず、
見積もりは、出来ると言ったので頼んだのが、予算より約1000万も多くくるのはあまりにもおかしすぎると考えたんですね。
その時は泣いているんだか、吐いているんだか、ひどかったですね。
そう、お嫁にいけないくらい。・・・・。
すでに行っていないか。のほほほ。
やあ、今思い出すだけでも、いやな思い出ですね。
ただね、ここで終わってはそれこそ、私何をこの十数年勉強してきたのかって事ですよ。
そう、これも意味があるんだ。絶対にある。
って思って、次の日から考えたんです。
そうしたら、やはりこの建築屋さんとご縁が
あったのは、お払いのお坊さんに出会わせてもらえたんですよね。
そう、あんなすばらしいお経をあげてくださるお坊さんはそうそういないと思うんです。
・・・と言いつつ、どこのお寺さんだったか、名前を覚えていない。・・・ごめんなさい。 ふらふら
そして、普通なら、神主さんだと考えるところ、
お坊さんっていったのも、やはり宮大工さんで、
お寺さんばかりをされていた建築屋さんだったからで、これは、やはり感謝だなああって思えたんですよね。
・・・まあちとそれには時間はかかりましたが・・・^^;
でもって、母は向こうもこれだけ人をひっぱたんだから、返事は来年でいいんじゃない?と言っていたんですね。実は、返事はすぐしなかったものですから。
ただよくよく考えると、やはりこれも感謝だし、
人がそのようにしたからと言って、同じ土俵に立っていては、成長も無いから、私はすっきりとした気持ちで、新年を迎えたいからと思い、年末ぎりぎりでしたが、丁重にお断りさせていただきました。
本当に激動でした。
昨年の土地が見つかってからね。
ただし、激動は、年を開けてからも続くとは
思いませんでしたがね。