それから・・・。

それから・・・どうした。
ですね。
はい。今日はいきなりそれからです。
そのお坊さんは何とか上に行かれたそうですが、まだ
母についている人がいたと。
・・・。
それは、母のお父さん。
そう、私のおじいちゃんですね。
彼は、母が5歳の時に亡くなっていたのですが、
母が末っ子だったのでとてもかわいがっていたと。
更には、この世の未練があったのでしょうか。
おじいちゃんは、とても学者肌と言いますか、
今で言うと研究者の道にでも行かれると才能を発揮
したのでしょうけど、その当時、下駄屋の息子に生まれ、それもお兄さんが本家(昔ですよね)
をついでおじいちゃんは分家をしたそうです。
そこへ、母の母、つまり私のおばあちゃんがとついで来て、それも結婚式まで顔を知らなかったんだって。
わお。昔ですわね。
でも明治の話だけどすごいねええ。
それで、おばあちゃんがとても商才があったので、本家のお兄さんに見初められて、嫁いだっていてました。
おばあちゃんは、本家のお兄さんが自分の結婚する相手だって思っていたそうです。
初夜(古いねええ。)を迎えるまでは・・・。
なんという時代だったのでしょうかね。
で、話は戻りますが、そのおじいちゃん。
母の父は、その商才というものが無かったので、
いつも本をよんだり、町の人を集めては、世直し議論をしたりして、全然商いには向かない人だったらしいのです。
それで、ある時お兄さん(本家)の保証人になって
そのお兄さんが商売をひっくり返しちゃって、
おじいちゃん家は全部財産をとられてしまって。
更には、おじいちゃん働かず飲んでばかりで、おばあちゃんが苦労したと。
そんな時、おじいちゃんは今で言う脳溢血で死んじゃったんですね。
それが母の5歳のときだったわけです。
だもの、気持ちは残るわね。
だから、母についてきていたらしいのね。
更には、そのおじいちゃんについてきていたのが
お兄さん。つまり私からするとおじさんね。
これまた、Sさん曰く、おじさん(5才)に話しかけたら、母の兄弟だって。
母に聞いたら、赤ちゃんで死んだ兄は要るって聞いたけど。との答え。
ふむふむ。
で、そのおじいちゃんも、お兄さんも上に上げてくれたと言うのです。
・・・・ありがたいのですが、どうもぴんとはきていなかったですね。
でも、母がここで、初めて私が父の悪口を、何度も母から聞かされていた時、いつも私は「そういっても、私の種は父だけだから。」って答えていて。
それで、母もはっと気づいたらしいのですね。
自分にも父親がいるのだと。
そして、去年のお盆にお墓参りに行ったら、おじいちゃんもおじさんもお墓に名前が無かったのですね。
実は、そのお墓。数年前に本家筋の息子達によって、
立て直してもらっていて。
その建て直しのときに、忘れられちゃったのねえ。
だもの成仏も出来ないよね。
でもって、それから,1年以上経ちましたが、先日
無事めでたく名を刻んでもらいました。
パチパチパチ  ぴかぴか(新しい)
結局、そんなこんなで、母には、3名の成仏できなかった男性がついていたと言うことになり、それをSさんが
上に上げた(本人曰く)と言うのです。
その時は一応感謝しました。
ですが、その後起こったことは・・・。
sさんは次に私を見ることになったのですね。
私を見たと言うのは、私の心を夜中に訪問したのでしょう。
彼女曰く、私が一番問題だと。
それは、事故はもとより、私の心が薄汚れていると言わんばかりに、箸にも棒にも引っかからないと言うのです。
以前にも書きましたが、何を今までやってきたのかと。何を勉強してきたのかと。
その時は非常にショックを受けておりました。
その表れが、彼女に言われて、まだ8月のお盆が終わってもなんとなくこの新しい店の設計に入って行けなかったんですね。
ですが、お尻をたたかれつつ、決まっていた建築屋さんの支店長を呼んで、まずは設計を頼みました。
ここからです。
私のどたばた劇が始まったのは・・・。
彼と打ち合わせすたび、まず木造の3階建てを立てたくて、お願いしたら、今はそんなの無理です。というのですね。
へっ?って言ったら、ちょうど6月から例の姉歯(この字でよかったかな?)さんの事件より、建築法が厳しくなって難しいとの事。
それからじゃあ無理なら、2×4の建築なら。
と言ったら、それは高いとか、まあ、あれもこれも
高いだの難しいだのと一点張りで。
数回彼と打ち合わせをしたのですが、それでも全然ウンとも寸とも前に行かず。
あまりにもひどいので、彼は私の仕事をしたくないのだと判断したんですね。
(わたしからすと約片手の数千万という金額はとてつもなく大きいのですが、彼らからすると小さい金額なんだなああって思ったんですね。)
それで、9月の中頃から、ほかの業者さんも見てみようって事になって。
それで、地下鉄で、ちょうどポスターを見たんです。
札幌ファクトリーで建築フェアー。
デザイナーズ建築家が勢ぞろい。
それを見ていたので、ちょっと顔出してみたのです。
その時、ある設計士の方が声をかけてくださって。
でもその主催者の建築会社があまり好きではなかったので、ほっておいたら、その次の日声をかけてもらった人から電話をもらったんですね。
その方も私の住所とか知らないのに、ちょっと平岸で漢方をしていると言っただけでしたが、調べて連絡をくれて。
その彼の一言で、ある宮大工をしている建築屋さんと
知り合うことになったんです。
本当は彼もあまりお勧めではなかったんでしょうけど、私がちょっと和風にこだわったので、こんなところもありますよ。と言う具合だったと思います。
彼曰く、ハード(大工さんの腕)はいいけど、まだまだそこはソフト(設計とか市との関係の細かい点)面が確立されていないよ。というアドバイスでした。
その頃私は何か意固地になっていたと言うか。
実は、その2人の設計士さんともうまくコミニュケーションが取れなったと言うか、正直彼らの言っていることが、あまりにも回りくどく何を言わんとしているかはっきり捕らえることが出来なかったのです。
それで、せっかく彼がアドバイスと忠告をしてくれたのですが、その宮大工さんの建築屋さんに事をすすめて行きました。
その後起こる事は本当は分っていたにも関わらず・・・。