覚悟
ふう。
今、晩御飯が終わりました。
今日はざるそばに、赤カブの漬物に、豆腐とねぎの味噌汁でした。ってあんまり健康のこと考えた食事じゃないですなあ。
そう、どうも頭が一杯なせいか、胸が一杯なせいか、珍しく?食欲が無いです。
はい。
これって、もしかして・・・こ・こ・恋模様?って
それならいいんですがねえ。
やはり、私の頭は仕事オンリーなのかしら。
最近立て続けに「自分を見る」この恋、いえ、行為に焦点が行ってしまう相談が多いのです。
あえてそのようにというわけではないのですが、
どんどん集約されていっているような。
どういうことかといいますと、数日前にご来店していただいた方の皮膚の相談でも、ストレスの話になって、それが職場での人間関係で苦しんでいると。
その彼女は立場的に言ってもなかなかうまく伝わらなかったというか、相手に振り回されちゃったみたいで。
そこで、私は彼女に「相手に物を伝えるときは、そのことで、仕事が自分に廻ってきても全部引き受ける覚悟で話すと、凛とできて、相手がどうのこうの言おうとふりまわされないんじゃないかなあ。」って伝えたのです。
そうしたら、その彼女も「先生の言う通り、相手がどうのこうのじゃなくて、自分なんだよね。そう、覚悟しちゃえばなんてことないね。なんかすっきりしました。」と、喜んで帰られて。
更に、別な患者さんからの電話では、「先生。私また気づいたんです。どうしても母親に甘えがでてしまう。自分は愛してもらいたかったのに・・・と自分でわかっていても、その表現を怒りとして出してしまいます。そしてその後は自己嫌悪に陥ってしまって、その後は寂しくて、悲しくて。」
「そう。寂しくて、悲しくて・・・そして、何に気づいたの?」
「やっぱり母を許していないって。」
「そっかあ。」
「でも、その母を許していないって、それって、自分を許していないことにも通じないかなあ。」
「そうだよね。うん、そう思う。」
「自分では、もうその辺は消化したと思っていたつもりだけど・・・。」
「つもり・・・だったんだよねえ。」
「そうなんだね。」
「しっかりと自分を見つめて自分をも全て許していればお母さんにちゃんと自分の意見も言えるし、それによって寂しくもならないし、悲しくもならないはずだもんね。」
「そっかあ。もう一度先生から言われた自分のどこが消化不良の感情残っているか見てみます。」
「うん。見えること祈ってます。」
とか、更には、つい先程の方もお電話で、
お母さんとの確執の話になり、自分の中にあるもの
見てみる?という話から、以前にも知り合いの方から、「人からしてもらったこと、自分がしたこと。を書き出してみたら?」と言われていたけど、その時は
全然する気が起きなかったんだそうです。
そしてまた私から似たような事を言われて、
「やったほうがいいよねえ。」と言ってました。
これがその人の時期ということなのでしょうね。
そして、全て自分を見るには覚悟が必要なのですよね。
だって、一般的にひどいといわれる感情も自分は持ち合わせているかも知れないもんね。
で、問題は、「自分。」何をかくそう、わたくし本人にも大きな課題が来ましてね。
優香ちゃん。「覚悟」したんですね。
それは、ずっと長くお付き合いをしてきてくださった患者さんとの決別を。
話せば長くなりますが、あっいや、書けば長くなりますので、端的にいいますと、彼女は強烈な共依存体質でした。
そう、彼女もまた育った環境の中で悲しみ、苦しみが
あったのですがそれをも押し殺し、親の尻拭いをずっとしてきたそうです。
お父さんやお母さんの感情の赴くまま振り回され、その中で育った彼女に残されたのは、強く、そして
世の中に怒りを持つ事で生きてきた。
その怒りの裏にある悲しさや、寂しさなどを封印し、
いえ、わからないままほったらかしにしてきたのでしょうね。
それで彼女も救われたかったのでしょう。
ある宗教の団体に入って一心に拝んだわけです。
もちろん祈りは宗教問わず大切です。
ですが、そこでは頑張りの宗教だった。
それじゃいけない、そんなんだから、あなたはだめなんだ。
その繰り返し。
彼女はもう一杯一杯のところまだ、頑張れ、頑張れ
のコール。
強くなきゃ行けない、人には優しくしなくちゃいけない、いいこと言わなくちゃ、しなくちゃ、自分の悪いところを直さなくちゃ。
そうこうしているうちに、彼女の心は閉ざされ、
岩のようになってしまった。
それが原因で、今度は何においても怒り、そして
どの人を見ても親の愛をほしがるようになってしまったのね。
だから自分の思うとおりにならないと、切れて、
わめいて、さわいで、どこに行ってもお店に行っても友人とあっても問題を起こしちゃう。そして病気になる。いえ自分で病気をつくる。
その病気を理由にまた怒り、どなり、相手の欠点しか目につかなくなり、自分は神様になってしまった。
これには、私にも責任があると感じましたね。
この共依存を知らない時はただ単に自分が悪いのかという感じで、私も聞き入れていたのです。
ですが、共依存を知ってからも、わたし自身が彼女の
ゲームに知らず知らずのうちに乗ってしまい、振り回されていたのです。
そして、上記の人達のことは言えません。
わたしも、この彼女に本音をいえなかった。
それは、本音を吐いたら、彼女がわめき散らすことはもちろん、患者さんとしても離れていくのが恐かったのでしょうね。
もちろん、罵倒されるのも恐かったかも知れません。
でも、みんなに言っておきながら自分が出来ないのは、失礼だと考え、意を決して、覚悟しました。
そして昨日から今日にかけて、ちょうど話す事が出来たのです。
それはそれは大変でした。
お互いに本音のぶつかり合いですからね。
それでも私は彼女に楽になってもらいたくて、
皆さんにお勧めしている「自分を見る」ことを
言いました。
でも、彼女は「そんなことできるわけがない。」と
一点張り。
昔ある人に言われたことがあります。
「先生。人にはそれぞれ開眼させてくれる人決まってるみたいですよ。たまたまその人先生の言葉からは開眼できなくても、また違う人で同じこと言われてはって気づくことあるみたいですよ。だから、全ての人が自分の言葉で解放できると思うのは無理ですよ。」
この言葉がふうって、思い出されて。
それで、ああ、自分には彼女のこころに届けれる言葉や行為はここまでなのかもしれない、って思いました。
そして、わたしから共依存を解いたのです。
そうしたら、はじめは彼女はびっくりでした。
そうですよね。
この数年、何を言っても、何をしても私のほうは何も言わなかった。
いえ、言えなかったんですね。
わたし自身が甘えていたのでしょう。
何度も何度も罵倒されてもけちをつけられても
黙っているのも、これもまた彼女の成長を妨げてしまったわけです。
やはりわたしの傲慢さが出たと思っています。
反省です。
ですが、今ここで覚悟を決めて彼女にも伝えたので、これからわたしの言葉でなくとも行為でなくとも
いつか必ずわたし以外の人からの言葉や行為で
救われることを祈っております。
彼女にも自分を見る力が与わることを願って…。
・・・・生きとし生ける物全ての物の苦しみ辛さが取れ幸せになったことに感謝します。
合掌
PS:今日は一連の過去の課題からそれ、今現在の課 題を乗り越えたブログでした。
次回からまた続きます。
でへへへ。まだあるんです。はい。