楽になる。
寒いねえええ。
まあ、北海道のゴールデンウイークは、いつもの事ね。だから、身体は縮こまっちゃうね。
でも、私のこころは、んんん。とっても楽になったわね。このお休みの間にね。
楽と言うより、心の底から『感謝』という感情が涌いてきたのね。
一昨日の土曜日だったかな。
母親の誕生日プレゼントに、初めての札幌ドームでの
日ハムとホークスの野球観戦に行きました。
まあ、まず驚いたのは、とっても綺麗な球場なのね。
スッゴーイ
ちと、世間からは遅れていますね。たはは。
しっかりと私と母の応援で、日ハムさんも勝ちましたし、気分も良かったのですわね。
で、帰ってきてから、ずっと母の左腕と左胸(20年前の癌手術した方)が痛むと言うので、背中のマッサージを。
とってもとっても凝っていたので、何が原因か、ちと
考えてみよう。ってことに。
まずは、今日の野球観戦も力は入ったし、4月から行っている歯医者さん通いも当然疲れるわね。
もう一つ私が気になったのは、今毎日毎日、母は仏さんにむかって般若心教を唱えているらしいのね。
だから、ちょっとそれをお休みしてみては。って
提案してみたの。
で、なぜそんなに一生懸命するのかって言ったら、
『父を憎む気持ちを忘れたい』と。
そうなのよね。このお父上はしっかりとしたマザコン
でもあったし、母に家の事全てを任せて仕事、仕事の毎日で。
更には、父の母さんってのがまた長谷家のヒットラーでね。(名ずけの親:優香)
これにもしっかり使えた母に、とどめは、父の他の女性との『不適切な関係』だもんね。
まあ、憎むのも当然さ。
ただ、今回分かったのが、実はそういうことはもう
歳も歳で、風化の状態であったのに、母が話してくれたのは、ある時、私の寝顔を見て、(父そっくりな私。)父を憎んでいる事は、娘の私にはその憎んでいる親父の半分の血が入っていると。
とすると、自分はこの子も。・・・・。
この・・・・よ。・・・・。
その時ね、私の中で、『すっとーん』と音をして
何かが、落ちていったのね。
つまり、今までそんな母だから、まあ、女が手に職を持っていないと、社会とつながっていないと、結婚しても離婚するとこも出来ない。
だから、私に『頑張れーガンバレー』
って言い続けるものだから、私は母に抑圧されて
来たのだと思いきや、なんとなんと、実は、母も
この私の中に流れている父の半分血の御蔭で、
『憎しみ』が有るにもかかわらず、ここまで、私を
育ててくれたのだなあああ。
って、本当に『すっとーん』だったわね。
そしたら、自然と、私の口から、母に『私を憎んで、当然でしょ。』って言葉が出たのよね。
いやー。びっくり。
なのに、私のこころは晴れ晴れなのね。
ええええ。
おっかしいんじゃないかって思われるかも知れないん
だけど、母の私への感情をしっかりと言葉にしてもらったことで、つまりお互いに抑圧しあっていて頑張りすぎてたことが分かったのでしょうね。
イコール、何処で、我々は共依存をしていたのか
が見えたのね。
そこの感情をしっかりとお互いに吐く事で、自分で自分の嫌なところを受け止める事ができてはじめて、開放し、何をすればいいか見えてくる。
母もまた、自分の娘なのに、『憎む』という感情なんか持っちゃいけない。
そうすべきではないと思って、それで、一昨年の春、
『病気をよくしてもらったことに感謝して、お礼参りの為に四国のお遍路さんに行く』って言ったのね。
でも、本音は『このままでは、夫を憎む、娘を憎む、
こんな感情を持ってはいけない。』って思いだったらしい。
だから、帰ってきてからも、彼女は必死になって、
般若心教を唱え、この感情を封印しようと心がけ
いた。
でも、身体(本音)はうそはつけないのよね。
しっかりと、メッセージをくれるわけ。
腕が痛い。脇が痛い。
『本音』と『建前』がずれると、身体のゆがみ
心のゆがみで、そこに水も、気も、血も滞って
病になるもんね。
その、本音を出してもだれもしからず、それで
いい。って言われないんじゃないかって。
彼女もまた、苦しんでいたのが手に取るように分かったら、とうの言われた本人(娘)なのに、それから
どんどん、客観的に彼女を受容し、許し、褒めれたの
ね。
親子って、前も言ったけど、本当に難しいの。
なのに、この時は、親というより、いち、1人の
女性として、私は、話を聞けたから、結局、
母の懺悔が私の母への感情も溶かし、許してもらえたのだろうね。
だから、もう心はとっても気持ちがいい。
すがすがしくもあったのね。
『楽になったあ。』
が一番うれしいね。
ホントこんな時が来るなんて。
田中先生の言うのは、間違いなかったと確信
しましたね。
先生の人間は『ふれるものに似る』
この言葉から、私は、約5年前から、先生のテープやら講演に行き、出来ないながらも少しずつ、少しずつ
言葉を入れ、それをし続けてきたのね。
『どんな事にも意味がある。』
『出来事を前からだけではなく、四方八方からみてみる。』
『まずは、人の話を受けてそれから、見つめて、許して、未来への夢を』
『自分が変われば、他者も必ず変わる。』
『全ては恵の時』
『どんな時も大丈夫』
・・・etc・・・・。
毎日毎日。
出来なかった事を責めるのではなく、次はどのような
言葉をかけるのがいいか。
反省もして、はらたちもおこし、時には泣いて。
時には、飲みすぎて。怜
これからも、一度では母のマイナス的な言葉や感情憎しみなぞまたすぐに出てくると思うけど、
人間一度自分のことを出してもいいと思ったら、
どんどん出てきて、最後はきっと温かい気持ちのみが
のこると思うのね。
母に、どのようになりたいかって聞いたら、『人を憎む気持ちを取り、穏やかな感情を持ちたいと。』
だから、母に伝えたのね。
『人は吐くもの吐いて、自分で、見つめると
必ず許されて、それから、いい言葉も良い行いも素晴らしい行動も出来るから。その工程は1人ではどうしても無理で、だれか人を通してはじめて出来る作業らしいよ。』と。
その作業相手は、私が手伝うよ。って言わなかったけど、こころの中で、私も『大丈夫。きっと私なら出来る。』って言えたのね。
これからまた、どんどん色んなことが私たち親子に
降りかかってくると思うけど、あせらず、行こうと
思う。
まあ、もともと、のんびり屋さんの我々だから、急げって言われても無理だけど、マイペースでいってみよう。秊
ただ、もう一方、5月5日にめでたくもお誕生日を迎える私の半分の方がいるのよね。
これがまた、本当の子どもの日の子どものマンマ。
お父上様はお父上様の課題だからね。
この、父親と娘という特殊な関係も複雑な感情有るからね。
父は父で、いつまでも娘を大人として見ないし、
当家の父はヒットラーの子なので、『子ヒットラー』だからね。
うんにゃ。
だからといって私もあきらめません事よ。
あの、『影のヒットラー(母)』が変化を起こしてくればまた何かが良い方向へいけると思うし、
なんにせよ、とうの本人、優香さんも『孫ヒットラー』ですものね。
これがまた、力は付いてきてると思うよ。
って、ここの家はどんな家なんじゃいなって
感じね。
のほほほ。
まずは、また一つ、作業が終われた事に
感謝です。
後半につづく。(まるこちゃんちの解説者)
孫ヒットラーの優香でした。秊