相手を直したい。変えたい。

わっかるなああ。
うんうん。すごく分かるよ。
昨日、私の趣味で始めたお稽古ごとの先生と
お話したのね。
その先生は、ちょうど私と同じくらいの年齢で、
まじめで、しっかりとその教室なり、運営までも
任されているの。
その先生が、どうも最近なのか、ちとお疲れモード。
そしたら、話す機会が与えられて、ちょっと聞いてみると、家に帰ってからも、その生徒さんや、今日やった事についてとか、明日の教室の予定とかをきっちり頭に持ってきているみたいなのね。
それも、家に帰るのは、毎日10時11時過ぎるんですって。
それだもの、疲れるよね。
でも、それだけが、理由では無い様でして。
つまり、生徒さんに教える時、どうしてももっともっとって、こうすればもっとうまくなる。とか、こうしないといい結果で無いよ。とか。
はたまた、態度や、言葉使いも気になるらしい。
で、先生の口から出た言葉が、『相手を直したい。相手に変わってもらいたい。』
なるほろ。
そうだよね。
だって、それだけ、先生は、生徒さんに真剣に向き合っているって言う事だからね。
態度も、言葉使いも、先生の事をきちんと敬う気持ちが出てくるからね。
こちらが真剣な分、真摯な態度も必要よね。
分かるわああ。
私もほんとつい最近まで、いえいえ、今でもふと気づくと力が入りすぎてしまう事って有るもんね。
その先生のしている事と、私のしている事は、同じ
なおすと言う言葉でも、私のは、患者さんを治す。
って言うほうだもんね。
で、治すための方法や、手段を伝えても、その通りに
される方は、一握りで。
昔は、そんな患者さんに逆に怒っていたりね。
面と向かっては、いえなくても、
なんで、私の言う事が出来ないよ。
タバコもお酒も飲んで、不規則な生活をして、食事も適当で、身体治せれるわけ無いじゃん。
なああんてね。
で、家に帰って自分の方が浴びるようにのんで、愚痴っていたもんね。
私も家に帰ってまでも、今日の患者さんに対する
処方とか、病気のことをずううっと頭から離れなかったもんね。
で、どうして私の言う事が聞けないのよおおお。
私の言った通りにすれば、良くなるのににいいい。
なああんて、心で、叫んでいたよね。
だからこそ、その先生の言っている事は、手に取るように分かるよね。
でも、実は、こんなに頑張っているのに、よくならない。とか、こんなに私は一生懸命しているのに、患者さんが離れていく。
こころは、もうもう振り回されて、へとへと。って
感じでしたね。
だから、私の体も異変が来てね。
胆石だったのか、腎結石だったのか。
まあ、異常な背中の痛みがあって。
よっぽど辛かったのだろうね。
自分の感情に。
苦しかったのよ。身体も心も。
私も毎日自分のお店なのに、疲れていてね。
今思えば、私自身が一番病んでいたのかも知れないね。
そんなんだもの、患者さんだって来なくなるし、
良くはならないよね。
じゃあ、それが取れてきたのは、やっぱり誰の課題かを見極めたときかなあ。
そう、治る方法は伝えても、手段が分かってもしないのは、必ず、その方に理由があるって事で、その裏に有る心の叫びを聞けるようになってからかなあ。
(まあ、聞ける時と、聞くのを忘れる時も有りますが。・・・^^; 失礼。)
そして、一番は、自分を知ったことかなあ。
自分は、人にも認めてもらいたい。褒めてもらいたい。だから、患者さんのためと思っていたのは、実は、自分の存在価値を分かってほしかったんじゃないかなあ。って。
で、本当は、治すのは、患者さん本人で、その患者さんの課題まで、私が取ってしまったら、いつまでたっても一人では治す事が、出来なくなる。
ほいなら、私の課題は。
ってきたら、以前にも書いたけど、患者さんが頑張っているのをちゃんと側にいて、見守る事が出来るかどうか。だもんね。
苦しくても、辛くても、治るための一過程に過ぎないわけだから、手を出さずに
話を聞く。
つまり、治そうとせず分かろうとせよ。
それからかなああ、少しずつ私も楽になってきて、
で、あんなに一生懸命やっていた頃より、患者さんは良くなる、ついても来てくれる。
んんん。
不思議よね。
もちろん、私の背中の痛みもほとんど無く。
自分の弱いところも、ノンベのところも、
全て私なんだって、自分で、認めちゃったからかなあ。
そうね。
自分受容の量が他者受容の量に比例もするわけだしね。
それでもふと気づくと、わああ、また
治そうとしちゃってるジャン。って事多々有るけどね。
そうそう、そういう時は、言ってくださいね。
自分じゃ気づかない事も有るのでね。
遠慮なく。秊
だから、その先生も今は課題が与えられたのかも
知れないね。
私に出来る事は、その先生の気持ちを少しでも
聞けれるようになる事かな。
それも、直そうとせずにね。
これまた、たいそうな私の課題かも知れないね。
直そう(治そう)とせず、分かろうとせよ。

私の一生の課題かも知れないなああ。