人間関係

ウルウル・シクシク・ホロホロ
とめどめなく流れる涙。
昨日までは気丈にしていたのかなあ。
考えないようにしていたのか。
せっかくの休みだから、リフレッシュしようと思って、近くの温泉に行ったからね。
先週の事ね。
親父が来て、老人医療保険減額なんとかって言うのに、社会保険庁に出して来て欲しいと頼まれて。
そんな事はどうでもいいのね。と言うより、それぐらいの事はどんな事もしてあげれるんだけど、会えばいつもいつも父からの愚痴を聞かされるのね。
その愚痴と言うのが、金銭の問題かなあ。
お蔭様で、父は5年前に70歳まで働いてくれて、
その後老後に入りましたが、それなりの年金をいただいております。
今回の騒動にも問題も無く、いつまでたっても
私の給料は追い越せれず・・・。
って、私の方が低すぎるのかな。
まあ、それはともかくも、
本人曰く、我々家族はそれぞれてんでんばらばらにすんでおりまして。
それが本人気に食わないらしい。
(でも、その原因も彼がつくったのですが・・・)
私は私で、母は母で、ちゃんと生活してるんだから、
問題は無いのに。
どうも父はそれを背負ってしまうらしい。
じゃあ、気持ちだけ背負わず、生活も手伝ってくれるのかと言えば、いままで、一言も店はどうしている、
ちゃんと給料もらえているのか、大変なら手伝うぞ。
なああんて言葉も無く。
そんな事も要求はしていないけど、逆に定年を迎えてからは、何がいくらかかるだの、無駄な生活だの、
なんだの。
彼がそれを言い出すのは決まって、ご自分の懐具合が苦しくなっているわけで。
それも、普通に生活していれば何不自由ない生活だと思うけど、彼のギャンブル狂からすると足りないらしい。
かれこれ、彼の人生何億と言う人参を馬さんに与えているし、チンじゃらの台へも相当つぎ込んでいる。
(彼の母親・・・ばあちゃんが超甘やかしたのだ)
私は一切そんな事をしないから良くわからないけど、
日にウン十万も賭けるやり方は異常としか思えないわけで。
これも全て心の病と言えば病なんだけど、
なかなか親となると納得が行けんとです。
どうしても自分が子供になるので、親とはこういうもの。子供にお金の事、借金の事など話す親は親ではない。なあんて思っちゃうんだろうなあ。
まあ、親父もその借金を払えだの、私に払ってほしいだの言っているわけではないんだけど、ついつい私も振られるわけ。
私が何かしなくちゃいけないのか、とか
私が全て背負わなくっちゃいけないとか。
彼の問題なのにね。
じゅああ、怒ればいいじゃんって思って、
父を怒り、家を売って返せばいいじゃんって言うと、そん時はりっぱな親父になって、逆切れ。
『子供に指図される覚えはない。うるさい。だまれ。』ってね。
手がつけられないとはこの事かあ。
そしたら私にどうすれって言うの。となるじゃない。
どうして、いつもこうなのかって。
そして親父に会えば母親の悪口。
母親に会えば親父の悪口。
この親に育てられて、まじめに私どうしてこんなに常識的にそだったのかしら。
って思うくらい・・・。
って、常識的と思っているのは、自分だけかな。
あいやあ。
そしたら、また、小さい優香ちゃんが出てきて、
朝から、涙浮かべ、ボロボロと。
その涙の意味は。って言われちゃ、自己憐憫(自分で自分の事に同情するってか)
って解っているけど、泣きたい時もある。
自然に出てきちゃうんだもん。
はたからみたら、馬鹿みたいって思うかも知れないけど、これこそが人間関係の最たるものよね。
人はどのようにして生きているのかって言えば、人間関係を生きているってよく言うけど、その中で、いっち番強烈なのが親子関係だわね。
これって切っても切れない関係でしょう。
だから、私も母親といてもある程度振られなくなったし、客観的にも見れるようにはなったけど、やっぱり親父なんだな。
私の場合は。
私の知人は母親との関係で、それも上記のように、お母さんが借金をしちゃうらしい。
そのお母さんだってもうお歳の方だけど、ギャンブルじゃなく、どうも男のお友達へ貢いじゃうのかな。
元気でいいといえばいいけど、子供にしたら、
あきれるかもね。
その彼女もお母さんとは超超共依存だったね。
でも彼女は強くなって、自分の意見ちゃんと伝えていたな。
やっぱり小さい私がまだ、愛情欲しているのね。
父親の愛かあ。
でも、うちの親父は母親にも、そのまたお父さんにも
褒められた事が無いから、私の事も愛せず、褒めれもせず。
頭ではわかってるんだけどねええ。
で、おいおい泣いてから、知らぬ間に寝てしまって。
んんん。
懐かしいね。
小さいとき怒られて泣いて泣いて疲れて寝ちゃった事
何度もあった気がする。
子供ってそうだよね。
そかああ。
私も子供にもどったのかあ。
・・・って最初から子供のままだから。
だははは^^;
で、思ったのね。
これって、父が生きているから、こんな苦労もあるけど、一応このままいくと先に父がいなくなるわけで。
でも亡くなってから本当はこんな事って懐かしく思うんじゃないかなあ、なあんてね。
それと、どうしても彼のここの寂しさ、怖れがあるあからそれを満たそうと思って、コントロールのきかないお金の使い方するんだろうなあ。ってね。
じゃあ、私はどのように対応したら、って考えると、やっぱり彼の課題は、彼の課題。
それを取ってしまうといけないよね。
いつだったか母親を恨んだこともあったね。
もっと自分を非常識に、もっと自分をわがままに、
もっと自分をつめたい人間に育ててくれていたら、
こんな苦労はしなかったと。
そう、非常識であれば父とも会わずとも良く、
わがままであれば、逆に父に苦しみを訴え、冷たい人間であれば、将来の親の心配までしなくとも済むと。
だけど、この頃思うのね。
ある程度の常識があったからこの仕事もさせてもらっている。
ある程度我慢も出きるから、村八分にもならず。
ある程度優しさを持っていたから、愛情をもらえる。
今は厳しい親にも感謝だね。
はてさて。
しっかりと親父とも向き合いますか。
相手をせめても前に進まないもんね。
伝え方、言い方を変えてみよう。
いつもいつも同じ手では、いつものパターンで、
空中分解して終わりだからね。
この親を選んだのは私なんだしね。
私の課題だね。
親子関係か。
だけどみんなそれぞれ持っているよね。
人は他の人から見たら何も苦労なく、不自由なく、
幸せに見えるけど、そんなこと無いものらしい。
ある町の女の人が子供をなくした悲しみから
どんな事でもかなえてくれるお釈迦様に頼みに言ったそうで。
それは自分の子供を生き返らせて欲しいと。
お釈迦様はこう言ったそうな。
『よろしいでしょう。でも1つ条件があります。
この村の家庭の中で1人も家族を亡くされた事の無い方を連れてきたら、あなたの子供を生き返らせましょう。』と。
そうしたら、その女の人は村の全ての家々をまわって聞いて歩いたそうで。
結果は、1人も家族を亡くしたことの無い家庭は無かったそうです。
そして、彼女は知ったのね。
自分だけが悲しいのでは無い。
みんな同じなんだってね。
他人も悲しみを背負って生きているってね。
これは悲しみについてだったけど、大なり小なり
それぞれみんな課題があるわね。
うちや友人宅のように、親に金銭面での苦労をさせられているところもあれば、病気の親を抱えているところも。
更に、親だけじゃなしね。
旦那さん、奥さん、子供、おじいちゃん、おばあちゃん、先生、生徒、上司、部下、恋人、お客さん、
この世は1人では生きていないからね。
全てが全て人間関係で成り立っているんだもんね。
それが生きている、生かされているって事だからね。
ふううう。
まあ、このような状況を経験すればするほど、
同じように苦労されている患者さんとも共感は持てるもんね。
うんうん。
おっと、嶺
忘れてました。親父との事も大切だけど、まずは今は月末だわ。
お店の支払いをまず第一に。
私事は今週末にまた考えましょう。
今週は涙から始まりましたが、これも浄化の1つと考えすっきりさっぱり、この空のように今週もがんばりまあああす。
うっす。秊