判断能力。
「やまと」の現場から
2007.10.28

 あああ、参りました。
この10月、元気に行こう廉
なああんて出だしよかったのですが、すぐその後から、今年の風邪にみまわれ。
まあ、長いの長くないのって、長がびかせてしまいました。
風邪さんにとって、私の体がとても居心地がよかったらしい。
もうかれこれ、3週間以上になりますが、咳も時たまでたり、鼻声も、身体もぱっとせず。
うううう。
いつもなら、お蔭様で売るほどある薬で、なおっちゃうんだけどね。
でもそれに、胡坐をかいていたのかもしれません。
・・・反省。
で、それからが問題だ。
何がって、この病んでいる時って、どうしても気も落ちちゃうというか、まあ、自信もなくなるのかしらね。
そう、で、この風邪君の原因、まあ、疲れと寒さ
だったんだけど、その疲れの原因が、心が疲れていた事もあって、これが病を呼んだのでしょう。
と解っていたのですが、あまりにも長いので、やはり
どこかもっと深いところに原因があるのではないかと思い、何年も行っていっていない病院さんにもごやっかいにと思っていたのです。
が、しかし、その前に、例の透視をしてくださる方にちと聞いてみたい、いや、今思うと、ちょっくら甘えたかったのでしょう。
原因となる事の不平不満が私の中にあったのも事実でして。
で、それを指摘されるのも覚悟の上で。
というのも、彼女が以前、何かあれば私に甘えてくれてもいいのよ。などと、言ってもらったものですか。
それにも胡坐かいちゃったのね。
それで、彼女にまず電話をしたら、
開口一番、私の話を聞いてくれる前に、以前と言っていたことと矛盾することがかえってきて。
へっって思っていたら、次に私の用件を最後まで聞かず、ちと具合の悪いのが続いて・・・と言ったら、すかさず、『ああ、そうでしょうね。もうやまとさんダメですから。私の先生が、あなたを見て、この人はもうダメですって。何も変わってないし、神仏を信じていないし、心が空っぽですから。私もこんなに空っぽな人とはしりませんでした。もうだからダメですから。まあ、そこそこ食べていけれるでしょうけど、もう無理ですね。』
・・・な、な、何?
あ、あ、あまりのダメ出しというか、人格否定をされたので、言う言葉がなく、ようやく吐いた言葉が、
『だからこそ、今修行をしているのではないですか。』との問いにも、
『いえいえ、無理ですね。守護霊様も、あきれて、止めて帰りましたら。このままでしょうね。いいんじゃないですか。それで。』
『そ、そ、それはちょっと身も蓋も無いのでは。』
と言っても、無理、ダメ、の一点張り。
で、私もつい、『そういわれても、申し訳ないけど、この状況を言われてきたのはお宅なのですから、最後まで面倒を見るのが責任と言う事では、無いですか。』とこちらも一緒になって強い口調に。
あいやああ。
ばっちり振られてますがな。
まあ、でもその時は解らないのよね。
ただあまりにもこちらの事の否定が多かったので、
思わず、『もちろん神仏にしっかりと祈りをと思っていますが、その前にしなければならない事もあり、私の守護霊さんに、ちと待っててね。って頼んだんですけど、守護霊さんて待ってもくれないですか。』との言動。
『それに、8月にもう守護霊さんがいなくなったというのなら、何故に、その時言ってくれなかったのか。9月にいらしたときには、一心に願ってみては。とか、言われていたでしょう?』
という、私の反撃には、答えてもらえず、
何せ、もう無理。
『こうやって話していても、あちらの人が、無駄だって言っているから。』
おいおい・・・・。
更に、『40年間、まあ、10年は子供の時だから、それを差し引いても30年間、何にも変わってないし、その不平不満があるんだって言うのは、勘違い。それにそんなの小学生が中学生の、甘えでしょ。先生それから成長ないんだろうさ。』
あ、あ、あのね。
あなたが甘えたい時は夜夜中でも電話して。
とまで言ってくれたのに・・・。
それでも、私も常識の無い人間ではないと思っているので、夜、夜中もしないし、そういわれてもこれが初めてで。
まあ、私も体の病みは心の闇からともわかっているうえでの、ちょっと疲れたんだああ、って言いたかった
だけなんだよね。
それを頭ごなしに、ダメ、無理、そして最後のトドメはもう私は別な人に目を向けているので、そんなに先生嫌なら、やまとさんはそれで閉めればいいんじゃない!!
あのねー。誰が仕事が、店が嫌だと言ったのでしょうか。
別件の事ですから・・・。
私も自分で言うのもなんだけど、一応人の話はどんなに厳しい事でも一度は受け入れ、これも私の糧になると思って聞いたのですが、ここら辺で、んんん?
ちと、この方の言っているのはなんか方角が違うような。
で、徐々に冷静になってくると、仏さんが言われるのって、まあ、厳しい事もあるけど、それで見捨てたり、現代に生きる人をつぶす事を本当に言われるのだろうかと。
もちろん、私の生活態度も、習慣も、まだまだなっていない事もある。
本音を言えば、彼女はお国が面倒を見てくれているらしいので、時間は有り余るほどあるのね。
それには、実際うらやましさはあったのは認めます。
ただ、具合の悪いのはしょうが無いので、彼女の腎臓がよくなりますようにって、私も自分なりに気を送り、そしたら、前回腎臓に問題がなくなった。
病院の先生にも言われたのね。
それで、私はすごく喜んだんだけど、彼女はいい事か悪い事かって。
その時解らなかったけど、あとから、本人がまあ
病院にかからないのは、面倒も見てもらえないから。との返答で。
私もそこまで考え付かず、すぐ、じゃあ、あなたの守護霊様は、なんと言われているの?と聞いてしまって。
それには、ちゃんとなるから。との事で。
なるほど。じゃあ、彼女の仕事もキチンと見つかればいいなあ。などと考えていたんだけどね。
そんな考えがよくなかったのか。
なんだかよく、解らなくなっちゃって。
これがまさしく、人に振られるって言う意味よね。
自分がなくなっちゃうんだなあ。
そう言うとき、本当に判断出来なくなっちゃうのね。
目が曇るのよね。
じゃあ、人間いい事ばかり言ってくれる人、優しいことばかり言ってくれる人のみ良いかといえばそうでもなく、やっぱり厳しい事も言ってもらえるのは自分が反省し更なる成長の肥やしにもなるから、聞こうとする。
ここで、私が学んだ事は、やはり言葉かな。
言い方が人間一番大切かもしれない。って事かな。
今回、彼女の霊とお話できる事も、透視が出来る事も素晴らしいし、向こうの方のメッセージを伝えてくれたのもとてもありがたいと思っているのね。
でも、それがどうしても肉体の人間を通してくるわけだから、その方がどのように伝えるかで、相手に伝わるか伝わらないかも出てくると思うのね。
私は田中先生のところで、いつも実態の無いつまり
自分が変わって経験してきた事をその人のいる位置に沿って話さなくては、伝わりません。って聞いているから、自分もそれが出来るように、またそうなりたいと思っていつも患者さんや他の方と話をしているつもりなのね。
もちろん私も今勉強途中なので、ついつい頭ごなしに
言っちゃう事もある。
その時はやはり反省をして、次からはどういったらいいか、どのように話せば伝わるかを思考錯誤しながら
勉強しているわけで。
そこで今回の事を冷静に考えると、まず、彼女の
能力は認めるし、感謝しております。
ただ、彼女も今尚勉強中で、その勉強が私と違うところをしていくのだと。
私は私で、彼女とも鏡な訳だから、私にもその頭から
否定というのはあるかもしれない。
それを1つ1つ見つけ、直して行く。
また、その人、その人に共鳴して行き、そして、
やはりプラスからプラスを基準にして行きたい、いえ、していかなければならない。って強く思いましたね。
人間には長所も短所もある。
それは1つにくっついているもので、こちら見れば長所、あちらから見ればそれは短所となるでしょう。
私は出来たら、どちらを見てもOKで行きたいのよね。
そこから人間はエネルギーをもらえるんだもんね。
まあ、これまたいい勉強しました。
その後あるプロの見てくださる人に聞きましたら、
『あら、あら先生。念に絡まれちゃったのね。
念って解りますか。今の心と書くんですよね。
だから先生ちょっと心が疲れていた時、その彼女の思い通りにしたい念に絡まれちゃっただけですよ。まあ、先生は素直すぎちゃったね。うふふふ。』
だははは。
参った、参った。
この方は素直って言ってくださいましたが、
言い方かえると、単純馬鹿ともいえますわ。
まあ、これもOKか。
ささ、こんな事をしている間に今年ももう2ヶ月。
つくづく心身一如を痛感させられ、やはり病を持った時はくれぐれも気をつけよう。と思いました。
その時は判断能力がどうしても下がってしまいますからね。
私の経験をもとに、当店の患者さんにも伝えなくっちゃね。もちろんこちらブログを読んでもらっている皆さんもね。
病をしている時は心に隙間が出来ちゃうのでね。
逆に、心に隙間があるとき、病が来る可能性が大ですわ。
判断能力。
日頃から鍛錬して行きましょうね。
って、一番あたしゃが問題か。
     にゃははは。はっくしょん。嶺
         あいやあ、まずは、この風邪君と
         おさらばが先じゃいの。
 
         また漢方飲みまひょか
            のほほほほ秊

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