“トゲだらけの私”
「やまと」の現場から
2008.11.26

 毎日が真剣だと大変な事もありますが、うれしいこともいっぱいです。^^
 わたしのお店はご存知漢方薬の薬局なのですが、
数年前からわたしの考えがごろりと変わりました。
それは、病気という概念ですね。
いままでは、病気=なってはいけないもの。
もしくは、だめなもの。という意味合いしか感じられませんでした。
でも今は、病気=ありがたいもの。つまり、
我々に与えてくれるメッセージでもある。
という事に気づいてからは、本当に患者さんと
話すことが長くなりました。
もちろん長いから良いわけではありませんが、
この病気の意味をお互いにどのような意味があるかを
話すことが多くなりました。
これまでにも試行錯誤は沢山ありましたね。
どのように聞いたら心を打ち明けてくれるのだろう?
どのように質問したら、彼ら、彼女らは、答えてくれるのだろう。
この言い方で本当によかったのだろうか?
みんな楽になって帰ったのかなあ?
などなど、どれだけ多くの悩みと向き合ったか知れません。
ただ、先程の病気の概念が変わってからは、実は、
自分も楽になっていたのは、確かです。
治そうと言う気持ちが、調べようになったのですからね。
でも、不思議なことに、調べてわかってくると、
その病は症状を現さなくなるんですよね。
つまり、いつの間にか治っちゃっている感じです。
いつも書いていますが、相手とは鏡です。
自分は、いつも鏡と話をしているわけで。
その鏡は、七変化に変わるわけで。
それが、私が変わればその色になるかといえばそうでもなく。
こればかりは、いつも神様に伺いをたてれるようになってきたのもつい最近ですね。
それまでの自分はどうしてもこのようになってほしい。いえなるべきだ。の要素はふくまさっていたと
思います。
たまたまその神様に伺いをたてた時と、患者さんが
求めたときが一致した時、胸が熱くなるような、
それ以上の至福の時がお互いにいただけるのです。
それを感じるには、その前に起こるバトルも経験しないといけないときもあります。
その時も最近は、こちらのかける言葉は、神様に
ゆだねています。
いつも祈っています。
ここまで言うとお前はクリスチャンかといわれますが、そうでは無く、洗礼を受けずのキリストさんのみを崇拝するものでもありません。
人間性を疑われても仕方がありませんが、全てのいいとこ取りをしている、わたしです。
仏教的考えも大いに有りです。
でも、これもいいか!という具合で、毎日患者さんと
向き合わせてもらってます。
そんな中、今日とても嬉しいことがありました。
人は皆、幼少期に解決できなかった、未解決部分があるとそれをゆっくりゆっくりと熟成して、そして大人になってから、(年を重ねてから)その未解決感情を復讐として周りの人に出すそうです。
その復讐には、ご両親が生きていればそのままぶつけたり、ご兄弟にも出すときもあるそうです。
それはどのように出すかというと、さまざまみたいですね。
あからさまに、何かするときいやな顔つきをしてみたり、そのようなことをしたら怪我をする事がわかっていても知らん顔をするとか。
また、ぶつける方がいない人は、自己破滅になる人も。
これ以上飲んだら具合悪くなるまで飲む人や、賭け事に熱中してしまう人もおりますね。
女性なんかは、在る上に買ってしまう、買い物依存という事もあります。
でも、みんなみんな、やめよう、やめようと思っていても、やめられない方が多いです。
そんな中、1人いえあるご夫婦の体験を通して、
今悩んでいる方、困っている方に少しでも勇気をもらってもらえればいいかなと思い、ここに記します。
もちろん、この方々には了解を得ております。
このご夫婦をNさんとします。
こちらははじめご主人さんが具合が悪く私の所にきたのです。
ですが、よくよくお話を聞いていくとこれは奥様の方にも何かお困りのことがあるように見受けられました。
そして、どんどん奥様と話すことが多くなって、
彼女は幼い子頃のいやな記憶が頭から取れなかったんですね。
ここは患者さんの守秘義務がありますので、詳しくは話せませんが、それはそれはひどい体験をされたようです。
それを40数年ずっと1人で苦しんでいた。
ご主人にもわかってもらえないとよく私と会ったときは訴えていました。
わたしと関わってもらってから3年以上たちますでしょうか。
これだけ長くお付き合いがあるので、お互いに
ぶつかり合うことも問題はなかったと思います。
これまでのコミュニケーションがあったから言えたのか、いえ、今回はそれを越えた何かがあったのかも知れません。
数日前に、彼女が一番つらい思いをしたお父さんとの関係で、ある出来事がありました。
それは、彼女にとってはお父さんを受け入れなくてはいけない(精神的に)事が起きたんですね。
でも、彼女は受け入れるのは、とても辛かった。
それで電話をしてきたのですが、どこに彼女が
引っかかっているのか聞いてみたのです。
本音までは話さず、いつもいい子でいようとしてました。
わたしは彼女に[もうやめようよ。Nさん、自分と向き合いたい、自分を変えたいといっても求めていないのなら、来ないよ。本当に求めてるって見えないよ。
無理にしている感じ。そんなNさん辛そうなの、わたしも見たくないよ。やめよう。これからそんな物には、ふたをして、楽しく生きようよ。]
わたしは彼女のこころと本気で向き合ってみました。
いままでは、彼女の気持ちを受け、悲しみにくれている彼女に出すことも必要と言ってきたのですが、
いつの間にか、悲劇のヒロイン役を作り上げてしまったようでした。
そうしましたら、彼女もあっけにとらわれていたのですが、すんなりこのことを受けたのです。
でも、また必ず彼女の道には壁も来るかもしれない。
その時が彼女の時かも知れないと、あとは神様に祈っていました。
この次彼女に降り注ぐことがある時は、必ず乗り越えられる力があたわりますようにと。
そして、昨日です。
すぐその時は来たのです。
彼女から泣いて電話がありました。
それは、やはりお父様の件だったのですが、
受け入れないと断っても、それは現状ではむずかしいので、Nさんに神経科に行って、彼女が神経を病んでいるので、その診断書をもらえばお父さんをひきうけなくてもいいよ。という公共の機関からの通達でした。
それをNさんは聞いて、さまざまな感情が浮かんできたのです。
自分は精神科に行かなければ、父の身元引受人を断ることは出来ないのか?という自分の弱さもまざまざ見せられ。
また、これは子供としてそんなことをしてもいいのかという自責の念も起きてきて。
それはそれは、複雑な感情が交じり合って、パニックを起こしておりました。
少し過呼吸も起こしておりました。
わたしはすぐさまそこで、「なに泣いてるの!
いやならいや、受けるなら受ける、それぐらい言えるでしょう。いい子はやめなさい。あなたがここまで辛い思いをして生きてきたことを思えば、それぐらいけっぱっといで。」
「でも、いままで、つっぱってきたから・・・」
「つっぱるのと、けっぱるのは、違うでしょう。
突っ張るのは、我を張ること。けっぱるのは、自分の意見を伝えること。
大丈夫。わたしはいつでもあなたの見方なんだから。頑張っといで!」
とまあ、荒治療的でしたが、これが彼女の心に力が入ったようです。
更に、夕方には、彼女を気にしてわざわざNご主人から電話をいただいたんですよね。
「おれ、どうしたらわからなくて。先生、なんてあいつに言ってやればいいのかな。」
「そうだね。今彼女は自分の力で立とうとしているから、それには、こちらの思うことをするのでなく一度、奥さんに何か手伝えることあったら言って、という感じだといいんじゃないかな。
その時、奥さん何も無いって言ったら、そっかあ、じゃあ、何かしてほしいことがあったらいつでも言って、おれ見守っているから。」
で、どうだろう。と提案しました。
ご主人は素直に聞いてくれていました。
そして、今日。
奥さんがこの数年わたしと出会ってから、はじめて
うれしそうな、なんとも言えない、あたたかい、
愛のある声で、次のように話してくれました。
「昨日、パニクってしまって失礼しました。
でも、長谷さんに喝を入れられて目がさめました。
わたし、いままで体中がトゲだらけだったってきづいたんです。そのトゲがあるから、動けば周りを傷つけ、自分さえもそのトゲで血を流している。それでも、表面的には、大丈夫って顔して、無理して、
いやなことも引き受けて。
でも、昨日主人が初めて、何か手伝うこと無い?って聞いてくれて、わたしうれしかった。
いままで、彼はこんな私を受け入れてくれないって
頭でそれがずっとあって、全て自分で処理して来て。
昨日、主人にこころから弱音を吐けました。
甘えることも出来ました。
結婚して初めてです。」
「そうですか。
良かったですよね。私も頑張って喝をいれた甲斐がありましたよ。 ^^ これがNさんが一番求めていたことじゃないですか。ご主人と共存在でいたい。それぞれがお互いを尊重しあい、それでいて、支えあい、
自分の意見をきちんと言える。ずっとNさん言っていたもんね。」
「ああ、そうですね。わたしこの主人との関係をずっと望んでいたんです。」
「Nさんが求めたからですね。
そのトゲは全部取れたのですか?」
「いえ、全部とはいえないですが、大分取れました。」
「ではこれからは、どのようになりたいのですか?」
「これからは、このトゲをしっかりととる為、つまり、この私が振られることの無い状態が更にどんなことが起きようともならないよう、日々鍛錬していきたいです。」
「具体的には?」
「具体的には・・・何か小さいことでも私の身に降りかかってきたら、まずは一歩引いて冷静に判断できるよう見て行きたいです。」
「では、最後にこのことを通して、今の感想は。」
「・・・。本当は父の身元引受人になりたくなくって、でもやっぱり自分しかいないのかなって世間体を考えうけたけど、とっても辛くって。
だけど今は、父と自分としっかり受け入れることが出来たのと、それから逃げなかったことが、彼(ご主人)ともよい関係をきずけれて本当に良かったって思っています。ありがたいと思っています。」
今回のことを通して、私も勉強させてもらいました。
たまたま彼女との関係はこのように行きましたが、
このやり方が良かったのか、悪かったのかは別としても、私自身が逃げないということ、彼女に吐いていた言葉は、やはり自分にそのまま戻ってもきていました。
はじめにかけた言葉も、いい子ちゃん的に言うと、相手を思って・・・なあどとなりますが、本当のところ、自分がもう自分を見るなんてしなくていいじゃん。十分だよ。って自分に言っていたのかもしれません。
でも、その次に来たときは、相手に喝を入れたのではなく、自分に喝を入れたのかもしれません。
このように私のこころをさらけだすと、本当にあんた大丈夫?って思われるかもしれませんが、これも私なので、受け入れるしかないと思っております。
こんな私でも良いといってくれる人が来てくれると
信じてます。
それでも、ここ11月は色々ありましたが、
沢山の方々に楽になった、ハッピーだよ。
生きているのが楽しいよ。などといわれると、
また明日からのエネルギーをもらえます。
Nさんご夫婦へ。
これからも中むつまじく、お互い成長して行ってください。
時折、わたしも仲間に入れてね。
・・・ちとおじゃまか。 うふふふ。^^
沢山勉強させてもらいました。
感謝します。
“この道より 我を生かす道なし この道を歩く”
               
 「自分の一生はほかでもない、自分が作った道を歩くことだ。」
 
             「武者小路実篤集より」

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