年が明けて…つづく。

わお。
久振りにブログを続けて書くなんて、なんか、
いい感じです。
きちんと日記っていう風になりますよね。
って、これが当たり前かあ・・・。
まあ、当たり前と言うのが、この世には無いと気づいてから、早5~6年ほど経っておりますが、話は変わって、前ブログに続きます。
年はあけ、つまり今年のお正月ですね。
年末は最悪の状態でありましたが、何とか人を恨まず
自分の成長の為と言い聞かせ、2008年は明けました。
ここでゆっくりはしておられず、先へ進まなければお店はどうなるんだ。と言うことで、
次の一手を考えておりました。
そうです。
建設会社さんですよね。問題は。
それで、考えたのが、父の関係も考慮したり
知人のところ、友人の関係、例のOさんの知り合いなども考えましたが、やはり母とも相談し、最初のKさんのところにひとつ声をかけようかと言うことに相成りました。
それは、以前にもお世話になっているのと、とても誠実なところはもともと知っていたので、リベンジしてもらえるかどうか。と言うことで、話を持っていきました。
そうしたら、なんと、以前はああだ、こうだと話をマイナス、いえ、後ろ向きのいやいやだったのが、
今回は、年があいたとたん、どんどん新提案が出てきて。
もちろん図面もどんどん書いてくれて。
発言も全然違うんです。
まったく別人のような人に、そのKさんの支店長はなっていたんですね。
で、母にそのことを話しても、まったく信じてもらえ無かったぐらいですから。
以前の彼の行動や言動を言ってもね。
まあ、これも霊のいたずらだったと言えばいたずら
だったのでしょうかねええ。
今もって私も分りませんが、
とりあえず、私にとって、前に進むことは大変良いことだったわけです。
そして、打ち合わせは私の仕事が休み休みに行われたのですが、どんどん前に行き、初めての打ち合わせから、契約まで、約2ヶ月と最短できました。
これも当然なのかも知れませんけどね。
ただ、彼らに見積もってもらっても、自分の予算をはるかに上回る金額になっていて、色々勉強もしてもらいましたし、私も我慢するところは我慢しておりました。
それでもお互いのいいところをとってようやく契約にこぎつけたのは、3月のはじめでした。
もう4月の頭にはくわ入れをしなければ、9月のオープンを予定していたので、間に合わなくなります。
金額的にOKして、それから、契約も何とか無事終わったのですが、この後が大変でした。
彼らと打ち合わせをしている間に、当然銀行さんが
絡んでくるわけです。
全部を個人資産で出来たら良いのでしょうけど、そんなお金はどこにもありません。
ですから、やはり大量の借金をさせてもらうことに
なりますよね。
そのお金をお借りする銀行さん、正確に言うと信金さんの支店長とお話をしておりました。
その支店長さんはとても気さくな方で、色々相談に乗ってもらっていました。
話は進んで、建築屋さんと契約をしたら、その契約書のコピーと他、もろもん、個人の申告書はもちろん、会社の申告書、所得証明、印鑑証明、銀行通帳のコピーなどなどまずまず書類と言う書類を用意いたしました。
結果、K建築屋さんと契約をしたとたん、私は書類を提出させてもらったんですね。
それで、内容を見ると、4月の8日(大安でした)にくわ入れなので、このときに建築費の1/3を入金し、建前のときにまた同金額。そして、建ち上がって
引渡し後残金と言う形をとらせてもらいました。
さて、その4月8日まで間があるとはいえ、
3月のはじめに信金さんに書類を渡してから、うんともすんとも返事がなかったんですね。
普通は、その間に、銀行さんと契約書みたいな申込書を書くはずなのですが、いつまでたってもそれを持ってこなかったわけです。
1週間しても2週間しても。
まあ、支店長さんは本店でのOKはもう取ってあるから、大丈夫です。とは言ってくれていてはいたのですが、どうも気になる。
それで、約3週間目に入ったところで、痺れを切らして、連絡をしました。
そのときも支店長はもう決まっているのですから、大丈夫の一点張りで・・・。
んんん???
でも私も気になるので、早く申込書を書きたいと彼に伝えていたのです。
そうしましたら、3月も終わりそうな頃、相手から
連絡があり、実は自分がこの4月で転勤をすると。
それで、ぎりぎりですが、3月末日に申込書を書いてくれと言うのです。
まあ、忙しいときにごめんなさいとこちらも言いましたが、結局あわただしく融資担当者と2人で来て、
はい次、はい次と、書類にサインとハンコのみ要求されました。
母にも保証人になってもらったので、2人ですぐそば
だったのですが、書類にサインをして。
で、何度か質問もしたのですが、あまり説明も無く。
これは、この書類。これは、あの書類。という
具合で。
そして、彼らが帰ってから次の日に、もう一度書類を見たんですね。
そうしましたら、どうもはじめの融資、最初くわ入れのときからの融資が、短期借り入れとなっていて、
そのために最終融資のときに返済するという、裏書手形まで書かされていたんですね。
ようは簡単に言うと金利が高く、それも彼らにとっては私が何もわからないと言う感じで、説明も何もなくバタバタと終わらせられていたのです。
更に、普通、抵当権を設定するのに、司法書士の先生にお願いするのですが、これもまた、銀行さんの関係の先生で、その先生にお願いする用紙、委任状が
実は白紙委任状だったんです。
あらららら・・・。
あとから気づいて、これはちょっとまずくないかな。
と母に相談したら、じゃあ、司法書士の先生をこちらの知っている先生にお願いできないか聞いてみようと
言うことになって。
でも、その時私は、この短期融資も出来たらややこやしいので、母の預金を一部借りて、それから、また
融資を頂いてからそれを預金はできないかと提案しようと思っていたのです。
それを母に伝えたら、OKが出たので、支店長に
「自分が説明をきちんと聞かず理解出来ず申し訳ないのですが、今回このやり方ではなくて、最初の支払いは母の定期を崩させてもらい、それから、最後に融資を頂いた中から、また定期をおかせてほしい」と
支店長さんに願い出たんですね。
本当は家庭内融資のほうが金利も安くて済むのですが、これも世の付き合いかと思い、少ないですが、定期に。と言うことでOKしてもらおうと思っていたんです。
その支店長さんの答えは「だめです。」の一言。
それも、理由は支店長さんが転勤(札幌市内)をするから。と言うことでした。
ええええ?それって、おかしくない? 目
それから、私も色々な方にお話を聞いたら、
信金さんはなかなか厳しいくて、ある靴屋さんが
立ち行かなくなって、自分の定期を崩したいと
申し出たら、それはまかりならんと言われ、
じゃあ、店をつぶせと言うのか。とオーナーが言われたら、黙っていたって言うことも聞いたり、また、
ある会社の社長が自分の土地を抵当に入れて借金をし
それを換算したところ、当たり前に抵当が土地から抜けていたとおもいきや、登記簿謄本をとったら、しっかりと抵当権がまだついていたと。
それで、社長が、その信金さんに文句を言ったら、また使いたいときが出てくるんじゃないですか?の一言だったそうです。
もし使いたいときが起こればその時また入れればいい。と社長さんは憤慨をして、その信金さんとは一切付き合いをやめたと言っていました。
まあ、ほかにも色々出てきたので、ちょっと恐くなり、申し訳なかったのですが、この信金さんをお断りしたのです。
くしくも、4月8日のくわ入れの前の日。
さああ、大変です。
建築は始まってしまったものの、お金が無い。
融資が決まっていない。 もうやだ~(悲しい顔)
そんな状況から、この建築は始まってしまったんですね。
やああ、今このように軽く?書いておりますが、
その当時を思い起こすと、冷や汗物です。
だって、100円や200円のものでもないのに、
どうして私ってそういうことやっちゃうんでしょうかねえ。
向こう見ずといえばそうですし、度胸がいいといえばそれもそう。
ただ単に無鉄砲ですわね。
ですが、こればかりはしょうがない。と言う感じですね。
だって、どんなに考えてもおかしいものはおかしいですからね。
ちと、また腹をくくりました。
んんん、いつもですかね。   だははは。 わーい(嬉しい顔)