死 (人間の目的)
10月ですかああ。
秋ですねええ。ってふけっているわけでもなく、
相変わらず、バタバタとした日々ですかね。
それを理由にどうも、このところ、物忘れが・・・。
『ほれ、あれ、それ。』
それで、患者さんとも話しが通じてしまうのですから、私には、テレパシーが・・・。
なああんてね。(*^^*)
でも、先日、9月の最終土曜日かな。
ある、会の勉強会にお邪魔した時の、お話。
そこは、まあ、我々がずうううっと唱えてきている、
代替療法とか、ホメオパシー、自然治癒力などと
呈したものを、あるお医者さんが今度、やってみよう
って言うので、器、つまり医院を建てられた見学会
見たいな物でして。
その会の創立者さんかな。
天外さんと言う方のお話。
その方はソニーに勤めていらして、ロボットのアイボとか、CDなんかを発明された、とても頭の良い方。
その方が、何故にこの人間の魂を見るような方向へ行かれたかは、わかんないんだけどね。
なにせ、瞑想だとか、断食だとか、で、更には、お医者さんまで、気功を伝えて、代替医療を推進されているわけだ。
まあ、それはすばらしい事でね。
その方が、先日ソニーを退職され、その時退社のお祝いをしたいと言われた、同僚や、上司のかなたに、
それなら、自分の葬式をしてほしいと。
で、自分で、死体の役、お坊さんの役、喪主の役をされたんだって。
で、本名わすれちゃったけど、その方は死にました。
これからは天外で生きていきます。
とな。
彼もまた、テレパシーを感じた人なのかも。
んんん。
いいかもね。それも。
そしたら、天外さん曰く、人間は生まれてから、ずっと目的としてきたのは、死なんだ。
と。
そりゃそうだ。
ほいで、死ぬと次は生き返れるらしい。
つまり、どんな小さいことでも、毎回毎回我々は
一度死んで、そこから次は新たな自分で、生きていく
のね。
例えば、赤ちゃんがヨチヨチ歩いて、ようやく立てれるようになると、そのヨチヨチ歩きの自分は死んじゃって、歩けるようになった自分に生まれ変わる。
言葉を話し始めた時、トイレが出来るようになったとき、大きくなってからは、それぞれの学校に入った時や、就職、結婚、出産、離婚、再就職、親との離別などなど。
それぞれの時に死があるあらしい。
もちろん、人生の壁にぶつかった時も、それを登るには、死が来るのね。
で、それが怖くて、怖くて仕方がない。
過去と未来の区別をつける時。
これが、苦悩の始まりなんだって。
なるほろだわね。
よく言うよね。
人間程、環境の動物はいないのに、それでいて、自分を変える事が一番嫌いらしいのね。
嫌いと言うか、変えられないんだなあ。
ようするに、過去との自分にさよなら、出来ないのかなあ。
まあね。
出来ないよね。
だって、生活習慣が自分をここまで、生かしてきた。って事、良く自分がわかっているんだもんね。
身体にだって悪いってようく知っているくせに、
タバコも酒もヤメラレナイ。
買い物、甘いもの、はたまたストイックな程の
身体いじめ。etc・・・。
だから死ぬのは、難しい。
で、天外さんは、死に方研究会ってのが、一番初めの会の目的だったんだって。
そう。
死に方研究会=生き方研究会
につながるらしい。
ふうううん。
だあね。
人間も大人になっちゃうとたああくさんの
殻を着てるから、ちゃんと脱いで、と言うか
脱皮しないと、本当の自分が見えなくなっちゃうのかもね。
その脱皮には、エネルギーが必要って事かもね。
ふうう。
はてさて、
私も休みには、近くの温泉浴場に行って
垢こすりでもしてきますかな。
これぞまさしく、脱皮。嶺
でへへへ。^^;
今月も元気で、行こう 秊